D組 唐澤 功さん

 D組の唐澤 功です。高校在学中は天文気象クラブの部長などをしていましたが、クラスの片隅で目立たないようにひっそりと生活していましたので、「今月の顔」にはふさわしくないと思ったのですが、少々皆さんにお願いしたいこともあり、思い切ってお引き受けすることにしました。

【1】求人のお願い
 私はいま、辰野高校で進路指導主事をしています。リーマンショック以降、高校生の就職は本当に厳しくて、昨年も1回目の応募が始まる9月現在で、上伊那管内の高校の就職希望者373名に対して、全職種で289名分の求人しか出ませんでした。求人倍率は0.77倍です。かつては、1回目の試験で90%近い内定率を誇っていた製造業の集積地上伊那も、現在は60%台まで内定率が落ち込んでいます。1回目の試験で就職試験を受けた生徒のおよそ3人に1人が不採用になるという状況です。高校生は、複数の企業に同時に応募することはできませんので、1回目の試験に落ちると次の応募先を探すのが非常に難しくなります。
 採用に権限をもつ立場に就かれている皆さんも多いと思いますので、こうした状況をご理解いただき、高校生の採用をご検討いただければ幸いです。ご連絡をいただければ、どこへでもうかがいます。ちなみに、辰野高校の就職指導室の電話番号は、0266−41−5983(直通)ですので、連絡お待ちしています。
 商業科もありますので、事務職にも対応できますので、よろしくお願いします。

【2】昨年100周年を迎えました

・辰野高校は昨年創立100周年を迎えました。商業科ではいろいろとおもしろい取り組みをしていて、下の写真は辰野町にある米玉堂食品鰍フ協力を得て商品開発したクッキーです。マスコットは「あぽちゃん」、ていうんですよ。市販もしていますが、注文をいただければお届けしますので、一度ご賞味ください。現在、新商品も開発中ですので、お楽しみに。皆さん、お元気で。

 100周年 実行委員記念


私です  あぽちゃん
    【私です】



 
C組 永沼 篤実さん

はじめに
C組の永沼篤実です。執筆依頼を受けてから随分経ちましたがご容赦ください。
2度の大雪で農業従事者や旅館、ホテルなど観光に関わっている方々においては、甚大な損害を被っているにもかかわらず、能天気な態度で書き記していいものかと躊躇もしましたが、折角機会をいただいたので試みることにしました。さて何を書こうかと思案しましたが、東京にでてからの生活や仕事などを今更紹介しても読む気になれないでしょうから、冗長な文章で恐縮ですが、今回は私の趣味に絞って書いてみたいと思います。

「海で遊ぶ」
最初に見た海は江ノ島の海で小学校2〜3年の時でした。妹と従妹と3人で私は半ズボンで貝拾いをしている写真が残っているので、たぶん夏休みだったのだろうと思います。次に記憶に残っている海も江ノ島の海で18の時でした。江ノ島弁天橋を渡って海沿いに座って眺めた、黄昏の索莫とした海。勇気のなさを嘆いた悔恨の海。
衝撃的だった海はサイパンの海でした。初めて体験ダイビングをした時のことです。渺茫として輝く海にビーチからロープに?まりながら恐るおそる入水していきました。途中耳抜きがうまくできずに耳痛に耐えて潜りました。ふと水面を見上げると、小さな波の一つひとつがゆらゆら揺れているのをはっきりと眺めることができました。同時に、細長いヤガラという魚や小さな魚たちが、当たり前のように泳いでいるのに気づきました。それは当時の私には不思議な光景でした。
『頭の上を魚が泳ぐ!?』
それまで考えたこともなかった、潜るまで想像すらしなかった、地上では出あわない、その意外性の大きさ、驚き。
登山家が山は見上げるものでなく登るものだと言うならば、海は眺めるだけのものでなく潜るものだ、と思うようになりました。

「海中で遊ぶ」
伊豆の海で潜り始めてから10数年経ちます。社会人になってから元国体選手に習ってスキーをやったので、山頂付近のゲレンデから眺める峰々や谷間の雪景色の素晴らしさや、(大したレベルじゃないですが)狙い通りに滑れた時の、(昔の薬師丸ひろ子風に言えば)『カイカン』は知っているつもりですが、私にとって海中は、それとは別の特異的なときめきがあります。
それでは、ただときめくと言ってもみなさんに伝わらないと思いますので、海中のときめきをいくつか具体的に紹介しようと思います。

■潮は独自に流れている
普通に考えれば海に深く潜ればそれだけ水温が下がると思われるでしょうが、常にそうとは限りません。例えば水深10mで水温20℃だとしても15mで21℃、20mで20℃ということはしばしばあります。つまり、海中ではそれぞれに異なった潮があるということです。ビーカーの水にお湯を注ぐと互いに混ざって一定の水温になりますが、海中では混ざり合うことなくいくつもの潮が(決して強くはないですが)流れており、その方向も一定ではありません。同じ日で同じ場所であっても、午前中は流れがあっても午後は流れが全く止まってしまい、まったりとした海ということもあります。       
また、地上にいれば気温1℃の変化を肌で感じることはほとんどないでしょうが、上述の例の場合では、この水温1℃の差をはっきりと体感(冷たい、暖かい)することができます。

■水温1℃の差が生死を分ける
今世紀に入ってから地球温暖化について頻繁に語られるようになってきました。すでにご存じのことと思いますが、地上だけでなく海中にもその影響があります。ここに示すのは三宅島(伊豆諸島)に群生するミドリイシサンゴの群生です。Movie1(M1)は2010年5月、Movie2(M2)は2012年9月に撮影したものです。M1ではサンゴが地肌を覆うように、地味な色ですが綺麗に群生しています。ところが、M2ではサンゴで埋め尽くされていたはずの場所が、そこが同じ場所とは思えないほどに、サンゴが剥がれたように岩肌がむきだしになっています。
Movie1
Movie2
伊豆では水温の変化は年間通して13℃〜25℃、高くても26℃でしたが、この1〜2年は9月下旬から10月上旬にかけて最高で27〜28℃くらいまで上がってきています。三宅島のサンゴの生息環境にとって適正水温が26℃までだとすれば、この1℃の上昇分がミドリイシサンゴの生息に影響を与えているかもしれません(三宅島のサンゴの生態について詳細な研究はありませんので、これは私の不確かな憶測です)。

■サメは怖くない
たぶん多くのみなさんはサメというと『ジョーズ』のイメージをお持ちでしょうが、500種以上いると言われるサメの大半は臆病者です。怖ろしいサメは『ジョーズ』のモデルになったホホジロザメやタイガーシャーク、イタチザメと呼ばれるサメですが、これらはどの水域でもいるというわけではありません。これら以外のサメは例え体長が2m程度あるサメでさえも、人間が近づくと素早く察知して逃げ出してしまいます。自分から向かってくることはまずありません。以下のMovie3をご覧ください。
Movie3
これは与那国島(日本最西端、尖閣諸島に一番近い離島)で撮影したハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ)の編成隊です。彼らは私を無視するかのように悠然と泳いでおり、襲う気が全くないことをおわかりいただけたと思います。

■大海原には大物が似合う
伊豆で潜るとせいぜい10m程度の透視度(透明度は水面から下を見た時どのくらいまで見えるかですが、透視度は海中で横に見た時どのくらいの距離まで見えるかを表します。メジャーを持っていって実際に測ったことはないので、だいたい経験的な感覚です)があればまずまずのダイビングを楽しめます。けれども、南国の海では透視度30mということもしばしばあるので、大海原で潜ると大きい生物は遠く離れていてもすぐに気づきます。
Movie4
これはマンタと呼ばれるエイで横幅5m。通常マンタは頭からシッポまでの長さで大きさを言わずに、横幅で表現します。頭部にヘラ状のものが付いていますが、これが糸巻のように丸まるので日本名ではオニイトマキエイの名が付いています。タイミングよく2枚(2匹)のマンタが頭上を旋回してくれたので驚嘆して見惚れてしまいました。

■こどもは好奇心のかたまり
Movie5に示すのはミナミハンドウイルカです。御蔵島(伊豆諸島)の周りをいくつかの群れをなして回遊しながら棲んでいます。この海は、戦後間もない頃、米国人の海洋生物学者がトルーマンにこの付近での爆撃訓練の中止を訴え、守られた海です。毎年5月頃は母イルカが生後5ヵ月くらいのこどもを連れていることが多く、この時もカメラに興味を示したイルカたちがフレンドリーに近づいてきてくれて、特にこどものイルカは水面にいる私に海中で遊ぼうと誘ってくれました。以前アシカのこどもと遊んだこともありましたが、その時も同様に好奇心旺盛に近づいてくれました。
Movie5

■オカマは神の思し召し
Movie6はスミレナガハナダイのメスで、体全体が鮮やかなオレンジ色をしています。通常は自分たちのテリトリーの中を泳ぎまわっています。このメスは腹部の一部分の鱗が?げたように見え、オレンジ色から薄紫色に変わってきています。これはメスに性転換(通称オカマと呼ばれる状態)が起こりはじめた証です。(ライトを嫌がって動いていますが)ライトを当てなければ岩陰に入ってあまり動きません。
Movie6
スミレナガハナダイは群れで生活していてオスが群れを管理し守っています。群れに他種の魚や人間が近づくとオスが攻撃してきます。そのオスがなんらかの理由でいなくなったり死んだりすると、体の大きなメスがオカマになると言われています。けれども、群れには体の大きなメスは一匹だけではありません。なぜそのメスだけがオカマになるのか、今のところ神のみぞ知る世界…。
Movie7はスミレナガハナダイのオスです。腹部は四角形にしっかりと白くなって体色も変わってメスとははっきりと見分けがつきます。腹部がサロンパスを貼ったようにみえるので、一般にサロンパスと呼ばれています。
Movie7

■魚はきれい好き
Movie8はハマフエフキ(フエフキダイ)と呼ばれるタイの仲間です。その体の回りをチョコチョコ動き回っている小魚が、ホンソメワケベラというプロのクリーニング屋です。体表に付着している寄生虫を捕食して体を掃除しています。口の中にも入り食べかすなどを取り除くこともあります。ハマフエフキに限らずマダイやハタ、イソマグロなど多くの魚たちがホバリングしながらクリーニングしてもらいます。先にご覧いただいたマンタが同じところを何度も旋回しているのは、その場所がクリーニング・ステーションと呼ばれるところで、体表をきれいにしてもらうためです。
Movie8

■ウミガメと遊ぶ
Movie9は川奈(東伊豆)に定住して2年になるアオウミガメです。お気に入りの場所が数ヵ所あり、遊びに行けば50%以上の確率で会うことができます。この時は水面で呼吸した後、他所に行かずに戻ってくれたので、しばし遊ぶことができました。最後は『十分サービスしたんだから、追いかけ回すのやめてくれ。昼寝したい』と言うので『ありがとう、元気でな』と呟いて別れました。
Movie9
カメが伊豆で1ヵ所に定着して長く棲むことは過去に記録がないことなので、水族館の研究員たちを不思議がらせています。エサ(海草・海藻)が豊富だから気に入ったのかもしれませんが、サメなどの天敵がいないことも要因かもしれません。

おわりに
かつて車椅子の女性と一緒に潜ったことがありました。海中からボートに戻った時、彼女がニコニコしながら自分で撮ったカメの写真を見せてくれました。私は屈託のない、心から楽しんでいるその姿に感動しました。ダイビングは泳げなくても(泳がなくても)楽しめるレジャーです。実際、私はプールで泳ぐのは大嫌いで、海に入ることはあってもプールで泳ぐことは年に1回もありません。2月中にバリ島で不幸なダイビング事故があり、多くの方々はダイビングが危険なレジャーであるという印象を持たれたかもしれませんが、(一人の海中で遊ぶ者として)それを払拭したい思いをこめて今回書きました。
初めから読んでいただかなくても、面倒ならば途中だけ読んで(見て)いただいてもいいようにキュレーションしたつもりです。私のビデオカメラは古いので、ビデオテープからノートPCに取り込むのに知人の映像プロデューサーにお願いして手間取りましたが、私にとってビデオ整理のよい機会にもなりました。最初に私の趣味と書きましたが、近年は一時期に比して海中で遊ぶこともすっかり減ってしまい今では趣味と呼べるかどうか…。
以上で脱稿です。ご一読いただき、束の間少しでも楽しんでいただきましたならば幸甚に存じます。


 



 
B組 中村 秀人さん

2Bのヒデトです。
シンイチ君から電話が来て何かと思いきや「今月の顔」に原稿をだしなさいという厳しいご命令があり、何も考えもせず了承してみたものの、さて「何を書きゃいいんずら」と悩んでいるうちにあっ言う間に2週間以上が経ってしまっている。河西さんから今まで投稿された皆さんの原稿を参考にと送っていただきながら、「ずっと待っとるでね」と言う優しい言葉につい甘えてしまって…
その内にジュン君から「いい加減に原稿出しなさい」という厳しい督促のお電話まで頂き、こりゃ甘えていちゃあいけんと漸く一大決心をして書き始めた次第。やっぱり怠け者の習性はなかなか年をとっても変わらんなぁと反省しきりです。
ということで、心に浮かぶことを取り留めもなく書いていこうと思います。

東京で就職して5年ほど働きましたが、信州にUターンして、とある印刷会社に就職し早27年が経ちました。今年の6月までは愛知県の春日井市に単身赴任をしていました。足掛け7年名古屋にいましたが、身についたのはお腹の贅肉… しっかり7kg太って帰って来ました。
これから名古屋方面に赴任される方にアドバイスをひとつ差し上げます。名古屋は炭水化物の食文化が根付いています。
「焼きそば定食」焼きそばにご飯と味噌汁(赤だし)がついています。 (焼きうどん定食もあります)
「味噌煮込みうどん」これもご飯と一緒に食べるのが一般的です。
「あんかけスパゲッティー」やっぱりご飯と一緒に食べる人が多くいます。
「ひつまぶし」ご飯3杯分の量があります。
「小倉トースト」トーストにこれでもかというくらい小倉餡がのってます。
「天むす」つい食べてしまいます。
紹介し始めたらきりがありませんのでこの位にしますが、自己管理のできないひ弱な精神力の方には名古屋はまずいところです。私のように贅肉を身に纏うようになります。
でもとても良いところです。単身赴任をしている人達の赴任先の人気ベスト2位だと聞きます。(因みに第1位は博多だそうです。)
夏は最悪です。沖縄の那覇より暑苦しい日が続きます。那覇がどの位暑苦しいのかはよく知りませんが、何となく沖縄が暑いというイメージで判断していますので異論はあると思いますが、ご容赦ください。

さて信州に帰ってきて半年が過ぎました。体重は見事に7kg減りました。私の奥様の厳しい管理のもと、青虫のような食生活を続けてきたおかげで少し健康を取り戻したように思います。でも名古屋メシを思い出します。とても美味しい文化だったと思います。
(時々、とある西箕輪の食堂で松井君と出会うことがあります。そこは玉子とじのカツ丼が美味しいところです。松井君はいつもカツ丼を美味しそうに食べています。これは余計なおしゃべりをしました。聞かなかったことにしてください。)

名古屋に赴任していて信州に戻って来ると、伊那谷のロケーションの素晴らしさに気付きます。生活しているうちは当たり前の風景ですが、離れてみるととても有り難い風景だと気づきます。こんな風景がいつでも見ることができることとは本当に素晴らしいことだと思います。こんな素晴らしい環境の中で働けることに感謝です。
少し伊那谷を離れたことでますます伊那谷が好きになりました。

唐突ですが今年も残すところひと月です。皆さんにとって今年はどんな年だったでしょうか。

私は30年振りに登山しました。鳳凰三山に登りました。登り切れたことで少し自信がついたように思います。中高年の登山がブームになっている理由がわかったような気がします。山に連れて行ってくれる人がいたら是非誘ってください。

また娘の結婚というイベントもありました。

娘の結婚!嫁ぐ娘の手を取って、バージンロードを歩く時のなんとも言えない気分!母親の娘を見る嬉しそうな顔を横目に男親って嫌だなと思うのは私だけかなぁ。祭壇の前で娘の背を押して夫となる男(敢えて男と言い放ちたい!)に引き渡す時の何とも言えない喪失感?それとも寂寥感?
披露宴で娘からのメッセージ!あれだけはやるなと言ったのに…
別にそれでどうこうないことで喜ばしいことには変わりないのだけれど、割り切れない…でもこれで孫でもできればどうなっちゃうのやら

取り止めのないことばかり書きました。そろそろ終わりにします。
最後に皆様に良き年が訪れますようご祈念申し上げて筆を置きます。
では再会を楽しみにしてます。



 
A組 松澤 郁夫 さん

皆さんこんにちは。

イクです。

中原から「今度書かなんだら殺す!原稿集めに苦労しとる河西の身にもなってみろ!」と叱られ、ようやく筆をとることに致しました。

近況を報告致します。

大学を卒業して、ある海運会社系列の商社に就職しました。
配属されたのは不動産部門で、マンションの分譲をやっておりました。
用地取得から、プランニング、販売、管理まで行う仕事はダイナミックで
とても楽しい日々でありました。

30年間転勤なしに東京勤務を続けましたが、一昨年の春、「名古屋に行け」
というお達しで、生まれて初めて伊那と首都圏以外の土地に住むことになりました。
今は、名古屋で所有するビルやマンションの賃貸・管理の業務を行っております。

8年前に父が亡くなり、母が一人暮らしになったため、土日は毎週伊那に帰って、買い物やらゴミ出しやら隣組の仕事やらをやっております。買い物のホームグランドは「アップルランド伊那インター前店」で、桜井や直ちゃによく出会います。
春日井市の借上げ社宅から2時間弱で伊那に帰れるので、それほど苦にはなりません。

最近、よく感じるのは「出会いの大切さ」です。
特に名古屋に住むようになってから、いろいろな人・事・物と出会う機会が多くなり、自分の人生が豊かになっているのを感じています。そんな出会いを幾つか書きたいと思います。

【1】名古屋秀麗会
名古屋には、伊那北出身の人は殆どおらんと思っていましたが、さにあらず。  
同じ年に名古屋に赴任したコバタケの繋がりもあり、くんち・根津・藤沢(寛)・秀人と、計6名で「名古屋秀麗会」を結成しました。この正月に新年会をやりました。30数年ぶりに会ったのに、5分で昔に戻れてしまう幸せは何とも言えません。次回は「郷土料理ナベ大会」をやる予定です。新栄という繁華街に伊那出身の方がやっている「勘太郎」という鍋のお店があるそうで、酒は黒松仙醸らしいです。
次回は根津君が幹事です。根津君、召集頼みます。

【2】伊那YSクラブ
ラグビー部の一年後輩の松崎弘君の紹介で、昨年「伊那YSクラブ」に入会しました。YSクラブとは偉大なる球団、「ヤクルトスワローズ」の球団公認のファンクラブの事です。
学生時代、松崎君とガラガラの神宮球場の外野芝生席で寝ころんで広島戦を観戦していたら、目の前に若松の「2試合連続代打サヨナラホームランのうちの一発」というのが飛び込んで来て、それ以来、二人ともスワローズファンになりました。

昨年はクラブのツアーで神宮とナゴヤドームに応援に行きました。神宮はホームなので気楽なのですが、名古屋でスワローズのユニフォームを着て、ドラキチ満載の地下鉄名城線に乗るのはなかりの勇気が要ります。
今シーズンは怪我人が多く、先発ローテーションも保てない状態ですが、6月に入れば風向きも変わり、破竹の40連勝!最終的にはジャイアンツに10ゲーム以上の差を付け、ダントツの優勝を飾ることは間違いありません。 
(残念ながら、今シーズンは段トツの最下位でした。実はこの原稿を書いたのが、5月17日なので、このような阿呆な記述となっている次第です。でも、この秋、我らがバレンティンのホームラン新記録達成を見ようと、ナゴヤドームに通った甲斐がありました。結局、神宮での新記録達成となりましたが、とても幸せです。)
又、30年近く浦和に住んでいたので、サッカーはレッズファンです。従って「スワローズとレッズが勝って、ジャイアンツとベルディーが負けた翌朝の新聞を読む事」が最大の喜びでした。(そんな日は極めて稀でしたが) 

【3】オーデイオ
名古屋に来てから音楽を聞くようになり、どのような機器で聞けばよいか分からなかったので、昨年よりF組の重鎮・松井謙治大先生に弟子入りし、オーディオの勉強を始めました。
私の場合は全くの初心者で、中古のガラクタ集めなので、たかが知れています
が、先日駒ケ根の師匠のご自宅にお邪魔して拝聴したシステムから発せられる音は、息を飲む程素晴らしく、美しいものでした。
(師匠は、「この宝石のようなピアノは、ユーコリンのためいきだ!」と仰っておりましたが、何のことだか私には分かりません)
日頃、酒を飲んだ時のだらしなさが云々される師匠ですが、あれは世を欺く仮の姿たったのかと感服した次第です。

【4】ボストン美術館
美術・芸術とは無縁の私ですが、何故か昔から源平時代の大鎧のフォルムが好きで、たまに写真を見てはうっとりする事があります。
昨年、名古屋ボストン美術館に「平治物語絵巻(三条殿夜討の巻)」が里帰りしたので速攻で見に行きました。余りの豪麗さと美しさに2時間ほど動けずに見入ってしまいました。これも貴重な「出会い」の一つだと思っています。名古屋に住んでいますし、奈良・京都も近いので、いろいろな寺社や美術館に行ってみたいなと思っている今日この頃であります。

以上



 
F組 桃澤 和幸 さん

 こんにちは、F組の落ちこぼれ桃澤です。
先々月末突然、松井君から「今月の顔」の原稿依頼が届きました。
何故?文章力の全くないこの俺に、原稿の依頼なんて「じぇじぇじぇ!」です。
予定してた誰かさんの代わりに頼むとのこと。
「松井がこの俺に頼んでくるなんて、よほど困っているのかな?」と、余分な気を回しているうちに『エエカッコしい!』の悪い癖が出てしまい引き受けてしまった。河西さんの「ありがとう!」のメールにも、つい乗せられてしまった。
今、猛烈に反省して後悔しています。
もう1ヶ月経つのに、未だに全然かけていない。

 写真を使って、現在の簡単な自己紹介からいきますか。
まず家族の紹介から、妻一人・息子一人(現在大学生)・プラス箱入り娘二人の、三人プラス二人で駒ヶ根に住んでいます。

チロ  箱入り娘の長女、「チロ」7才

 抱く事もさせてくれない、わがまま娘。
カミさんの言う事は一切聞かず、勝手気まま。
家からほとんど外には出してもらえず、出ても僕の一言で家の中に飛び込む小心?娘。 
顎の下に、猫特有のニキビに悩んでいます。最近ちょっとメタボ

 

 

 

マロン 箱入り娘の次女、「マロン」1才5ヶ月

1.5kgで成長が止まってしまったトイプ
昼間はカミさんに、ワッペンの様にくっつき虫の娘。
寝る時は、僕にくっつき虫のあまちゃん。
そして食べる事(ドッグフード)にほとんど興味ありません。
野菜・果物には異常な位、ガッツクんですけどね〜
ちょっと猫背なワンコ

 

 

仕事は、歯科技工士になって33年になります。
僕が「歯科技工」という仕事を知ったのは、高校3年の時 姉が歯科技工士と結婚したからです。
ある時義理の兄の仕事場に遊びにいった時、ほとんどが小指の頭くらいから人差し指の頭の大きさの差し歯を作っていたんですけど、そのチマチマとした細かい手作業に なんとも魅せられてしまいました。元々、「手作り」という工作が好きだったという事も有りまして、「歯科技工士」になろうと決意した訳です。
この年になると皆さんもそうだと思いますが、『老眼』という厄介なやつにつきまとわれ、細かい部分を見る為にマイクロスコープ(実態顕微鏡)を覗いて作業をする為、仕事が進まない進まない!
でも反対に、スコープが有るから今でもこの細かい仕事を、現役で続けられてるとも言えるか。

皆さんは、人の歯って何本あるか知っていますか?
乳歯で上下20本、永久歯で上下28〜32本(普通は)有ります。そして、一度失われると二度と再生出来ない臓器の一つです。歯科技工士はその失われた臓器を、回復・修理・改善する仕事をしています。
大きく分けると、一本の歯を削って詰める・被せる・見た目を白く綺麗にする、2本から数本の歯を削って失った歯と噛み合わせを回復するクラウン・ブリッジ・セラミックス、数本から全部の歯を失った 歯茎と失われた歯と噛み合わせを回復するいわゆる入れ歯 デンチャー、人工歯根と呼ばれるインプラントを顎の骨に直接埋め込んで、失われた歯と噛み合わせを回復するインプラント技工、の三つに分けられると思います。
僕は、クラウン・ブリッジ・セラミックスとインプラント技工をメインとして仕事をしています。

歯1 グロテスクと引かれるかもしれませんが、ゴメン。
前歯6本をオールセラミックスで、審美回復しました。
馴れない方には口腔内写真は、もっとグロいです。
金属にセラミックスを焼き付けた メタルセラミックスという審美回復の方法も有りますが、透明感のあるオールセラミックスの方が部が良いかもね。
又、最近増えてきいる金属アレルギーに対しても、非常に効果のある治療方法だと思います。

歯2インプラント治療のケースですが、専門的なので説明は省きます。
髪の毛一本・ケシの種一粒が、入っても気になるほど敏感な口の中に、あの大きな入れ歯をずーっと入れる事に抵抗の有る方には、非常に有効な方法かな?
すべての患者にとは言えませんが、それと¥が・・・

 エグイ写真を載せてしまいました。すみません

このチマチマとした技術を生かして、こんなものも作っています。

指輪カミさんにいくつか作った指輪の一部です。
デザインが古くなったのと、指に入らなくなったので僕の手元に帰ってきました。
近々新しいデザインに、変身する予定?です。
リングのデザインて本当難しいですね〜。

 

 

ペンダントこれはペンダントトプとキーホルダーのほんの一部です。
もっと作ったんですけどね、しまい込んでしまった様で 写真に撮れませんでした。
皆さんも、何かいいデザインが有りましたら教えて下さい。
結構細かいの作れますよ。ご希望が有れば????
今55才、悠々自適の年金ライフなんて絶対に考えられない我が人生、普段机の前に座ったきり、ほとんど運動をしていないから完璧にメタボな僕、後10年いや15年 現役で好きな技工を続けていけたらいいなと、本気で思っています。
卒後40年の同窓会が、もうすぐそこに近づいています。
「おい 久しぶり、元気だったか? 体調はどうだ?」「オー、久しぶり。ボチボチやってるよ! まだまだいける。」なんて、肩を叩きながらグラスをチン!と合わせるのを楽しみにしています。
皆さん、お元気で〜

 

 
E組 熊谷 健 さん

 なんか『今月の顔』が半年近く止まってしまっているとのこと。「何でもいいから書いてくれ。」と河西さんからメールをもらったのが5月の末。軽くOKしたものの、気が付いたら2か月が経過していました。
みなさん、お元気ですか?E組の熊谷健です。
「唄って踊れる司法書士」を仕事としてもうじき30年になります。文書を書くのが職業のはずですが、飲んで唄ってばかりです。自己紹介文などは苦手です。
役とか長が付くものが好きと言われ、煽てりゃ木に登るタイプとも言われ、柄にもなく色々な役を務めてきました。現在は、県の司法書士会長をしています。
司法書士は「身近なくらしの法律家」として、様々な法律相談に乗っています。興味のある方、悩み事のある方は、司法書士会のホームページでも覗いてみて下さい。
http://www.na-shiho.or.jp/

 10年程前から、趣味でまたギターを弾き始めました。きっかけは、伊那のベースという飲み屋で聴いた、高田渡さんのライブでした。C組の守屋武志君に誘われ、松井謙治君や桜井豊君と観に行きました。
高田渡さんは、高校生の頃よく聴いたブルースフォークシンガーで一時期心酔していましたが、今の仕事に就いてからは聴くこともなくなり、私にとって忘れた存在でした。しかしその夜は、久し振りのライブで昔懐かしい「コーヒーブルース」や「値上げ」「朝日楼」「生活の柄」等の唄を聴いて、至極満足して帰ったのでした。高田渡さんの訃報を聴いたのは、それから1か月余り経ってから。北海道のライブツアーの途中で還らぬ人となったとのことです。
高田渡さんは、山之口獏や金子光晴、黒田三郎といった日本の詩人、また、ラングストンヒューズやマリーローランサンといった海外の詩人の詩を、アメリカのカントリーブルースのメロディーに乗せて唄い、常に社会の隅々で暮らす人々のサイドに立ち、彼らの怒りや悲しみの表現者として、その反骨の姿勢を生涯貫いた放浪詩人でした。そんな彼の、死の間際のライブに立ち会えたのは、私にとって運命的な事柄でした。
興味のある方は、You Tube等で聴いてみて下さい。およそ流行り歌とは程遠いけれど、素朴な語りと優しい眼差し、そして唄に秘めた想いは、年を経ても変わることのないダンディズムを感じます。

 それから私は、昔のCDを買いあさり、本棚の奥から昔の詩集を取り出し、天山(岩槻)の紹介で若い頃は高価で手が出なかったマーティンのギターを買い、件の高田渡さんや、友部正人、憂歌団といった昔のフォークブルースを弾き始めたのです。ギターの教則本も買い、耳コピなどをして、飲み屋で唄ったりし始めたのです。秀麗会のキャンプなどにもギターを持ちこんで、迷惑も構わず弾き語ったりしているのです。

 最近は忙しくて弾くことも少ないのですが、それでも時々、仕事が終わって家で一杯やりながら、ギターを持ち出して一人悦に入ったりしています。40年近く前の高校生の頃に覚えた高田渡さんたちの唄は、50歳を過ぎても色褪せることなく、いや50歳を過ぎてなお一層心に訴えるものを感じます。
最後にマイフェバリットな1曲、ボブディランの「アイシャルビーリリースト」という曲に、おおつかまさじさんが訳詞を付けた「男らしいってわかるかい」という唄の歌詞を紹介して終わります。

変わっていくなんてきっとない  君の世界なんて程遠い
でも俺をこんなに変えてくれた  昔の友がいるんだ
朝日はもう昇るよ          すこしづつだけどね
その時その日こそ          自由になるんだ

奴らは楽な方を取るのさ      誰とでも手をむすびながら
でも俺は断じて俺の        考えどおりに動くんだ
朝日はもう昇るよ          すこしづつだけどね
その時その日こそ          自由になるんだ

男らしいってわかるかい      ピエロや臆病者のことさ
俺には聞こえるんだ彼らの    怯えたような泣き声が
朝日はもう昇るよ          すこしづつだけどね
その時その日こそ          自由になるんだ




 
  C組 唐木 章夫 さん

 秀麗会の皆様、あけましておめでとうございます。
C組の唐木章夫です。突然メールが来て今月の顔に登場することになりました。
高校時代は、殆ど部活もせず皆様の印象は薄いかも知れませんが、近況等を報告させてもらいます。


遅い夏休みで、昨年11月に家族で沖縄に行ってきました。

 伊那北卒業後、千葉大学医学部に進み、昭和57年卒業後、同大学第三内科(循環器内科)に入局しました。いずれは伊那に帰る腹づもりでいましたが、何となく帰りそびれていました。卒業後すぐに信州大学の医局に入局していれば今頃は、と今更ながら思っています。
 千葉の田舎を医局人事で廻り、派遣先の病院で現在の伴侶とめぐり逢い、昭和62年に結婚。現在は千葉で長女と3人暮らしです。
 平成8年に医局人事の波にのまれて、地方病院に飛ばされそうになり、それに逆らって現在の民間病院に就職しました。専門は循環器、狭心症の核医学診断ですが、最近は循環器の医師としてよりも、病院のIT管理業務が増えています。千葉県で2番目に電子カルテ化を行い、その維持管理業務も兼務しています。また、勤務病院が千葉県で最古の民間病院で、まもなく創立100周年を迎えますが、その準備の責任者に任命されたため、これから忙しさが増しそうです。

 実は、平成10年頃に伊那に戻って開業する計画を立て、もう少しと言うところまで行きましたが、諸般の事情で頓挫してしまいました。現在の勤務病院で比較的厚遇されていることもあり、開業を諦め千葉で仕事を続けることにし、家を購入。この頃に父親が体調を崩し平成11年に逝去。その2年後には母親も突然倒れて逝去してしまったため、兄と相談して伊那の実家等をすべて処分しました。ちょうど、「いなっせ」建設で立ち退き予定でしたので、いずれ引っ越しは避けて通れないところでしたが、新居予定地も処分し、現在は墓所しか有りません。何となく、信州との繋がりが希薄になってきていますが、毎年夏の日帰り墓参りだけは何とか続いています。

 しかし、卒業30周年のイベント以降、途切れていた伊那北同級生との交流も細々と復活傾向に有りますし、最近は伊那中の同級会にも出来るだけ参加するようにし始めました。


我が家の愛犬、AIBOです。

 以前はローメンのうしおのすぐそばに住んでいましたが、実は店に行ってローメンを食べたことがなく、特別に家に出前をしてもらっていましたが、今はそうも行かないので、6年ほど前に初めて店内でローメンを食べました。墓参りに行ったときに食べたいのですが、最近は家族の意見に押されてそば屋になってしまっています。
 そういえば、信州伊那国際ゴルフクラブの会員権が残っています。伊那に戻ったらやるつもりで、バブル一歩手前で購入しましたが、会員になってからは1回も行っていないという為体です。以前はゴルフもかなりやりましたが、足を痛めてからは全然やらなくなってしまいました。そろそろ処分かな〜、と思い悩んでいますが、今は値がつきませんから、なかなか踏み切れず、ずるずると年会費だけ払っています。


現在の勤務病院外観です。千葉駅のすぐそばです。

 55歳になって新たに開業という冒険はもう出来ませんが、何とか信州人と言えるように繋がりを保っていきたいと思います。一応、千葉県の信州県人会にも入っている(と思います)し、病院の幹部がほとんど信州縁の人間(理事長岡谷、院長飯田、看護部長安曇野、診療部長長野)という環境なので、大丈夫とは思っています。

 最後に、医者の不養生とはよく言ったもので、現在メタボリック症候群まっしぐら。毎日数種類の薬を服用しつつ、仕事では患者に「運動しろ」「痩せろ」「飲みすぎるな」と自分で出来ていないことを説教している今日この頃です。
皆様も、病気の適齢期ですのでご自愛下さい。




 
  B組 若林 健司 さん

 B組の若林健司です。2013年の年初めの「今月の顔」で近況報告させていただきます。
「今月の顔」は随分前に気軽に引受けたのですが、年の瀬は何かとやることが多く、先ほど漸く年賀状作りを終えて、原稿に取り掛かったところです。年賀状は何時の間にやらPCで作るものになり、今隣ではプリンタが頑張って働いています。まずは出来立ての賀状にてご挨拶。皆さん2013年も宜しくお願いします。

 線維メーカーで医薬医療関係の仕事に就いて早30年、東京の外れの日野市に暮らし、今は都心のオフィスに中央線と地下鉄で通っています。日野は中央高速の八王子インターにも近く、伊那に帰るのに便利なところで、時々田舎の老親の様子を見に帰省していますが、今年はトンネル天井崩落事故で正月の帰省は取り止めにしました。
家族は妻と娘が一人。妻とは研究所で知り合い、結婚して22年。娘は大学1年で、小学校から始めた一輪車の演技を今でも続け、昨年はイタリアの世界大会に参加しました(クラス別団体演技で残念ながら4位)。スマホと親を使いこなす生意気な娘に育っています。

 伊那北では美術部で石膏デッサンや油絵を描いて静かに過ごし、大学ではサークルで焼き物作りに少々凝りました。また焼き物をやりたいのですが、場所と時間の余裕がなく、今はデジカメの写真を趣味にしています。
最近は色々なものを写真やPDFにして整理していますが、しばらく前に整理した自分の歴史を恥ずかしながらご披露します。長い間定点観測を続けるのは難しいものですが、人生の定点観測として、学生証と免許証の写真の履歴です。

 高校生は15歳、大学と大学からの免許の更新9回分で、最後は53歳。指名手配のような雰囲気のものもありますが、並べると時の移りを感じます。写真は白黒からカラーに変わり、解像度と保存状態も良くなりました。被写体の衰えは隠せず、髪の量も減ってきています。次の同窓会で合う時にはどうなっていることやら。この写真をネタに少し人生の思い出でも語ろうかと思いましたが、この辺で筆を置きます。
 では皆さん良いお年を。 2012年12月30日 雨の日曜日。



 
  A組 北沢 幸利 さん

 今月の顔を急遽仰せつかりましたA組の北沢幸利です。
日頃は秀麗会の皆様(特にゴルフ部)にはお世話になっております。
特に何かを語れるような人生ではありませんが、近況などお話させていただきます

大学卒業後、2度の転職を経て、現在は損保会社の社員として、日夜交通事故の示談交渉に励んでおります。
交通事故での交渉というのは、人間の悪い部分の本性がでる場面が多く、本来表に出ない、隠れた部分があらわになったり
社会の中では、まったくごく一部の特異な方たちと遭遇することが多い仕事です。
私が担当した中では、いまだに薪の風呂に入り、季節に応じた野草を野山から取ってきて食事のおかずとし、日々暮らしていらっしゃる方もいらっしゃいました。その方はファミレスで面談した際、どうもファミレスに来たのは初めてらしく、いくら勧めても飲み物を飲むことがありませんでした。まだ30そこそこの年齢なのに、着ているものは薄汚れた古い衣類で、今の社会にこんな人が本当にいるんだろうか?というような方でした。
また、ある方は、「俺の仕事は保険の請求だ」と堂々とおっしゃり、1年に2.3回自主的?に事故に遭い、保険金を請求し生活されておられたようですが、、最終的にいろいろな保険会社より訴訟され、当社にても高裁まで争いましたが、敗訴されました。
このように、色々な人間と会うことができ、考え方によっては面白い仕事ではあると思いますが、何時まで続けることができるのかと思う今日この頃です。

今年の自分自身の中でのベストは社会保険労務士試験に合格したことです。
苦節4年かかりましたが、何とか今年合格することが出来ました。
まだ来年講習など受け、正式登録は来年の秋になる予定ですが、
今後の人生に生かせればと思っております。
老眼になり目もあまり見えなくなったり、さすがに記憶力も落ちてきた中、合格できたことは、少しは自分を褒めたい気分です。
社会保険労務士は商売にならない国家資格として有名ですが、何かできたらと思っていますので、秀麗会の皆様のなかで、関係あるお仕事をされている方がいらしゃいましたら是非お力添えくださいますようお願いします。

家族は妻と子供二人です。長男は東京で就職し、長女も来春卒業後、東京で就職予定です。
長女が東京の大学へ行ってからは、夫婦二人きりの生活になりました。特に仲が良いわけではありませんが、50歳以上のカップル割引を使って映画を見たり、品物はほとんど買いませんが、各地のアウトレットを見て回ったり、ドライブをしたりして楽しんでおります。

また、家では未だにターンテーブルにレコードを乗せ、針を落として音楽を聴いています。CDには乗り遅れ、ハードディスクに保存した音楽の聴き方など皆目わからず、新しいものでも20年以上前のレコードを聴いています。写真はELP(ELTではありません)のアルバムですが、よくよく考えたら40年以上も前に購入したレコードです。先日ふとテレビをつけたら現在のELP(エマーソン、レイク、パーマー)が演奏をしているビデオが流れていたため驚いてしまいました。昨日もニュース番組にジミー、ペイジが三大ギタリストとしてインタビューを受けているのを見ましたが、ジミー・ペイジってもう70歳近いんだろうにと思いながら、この人何十年三大ギタリストなんだろうと不思議な感覚になりました。同級生のI君に聞くと70年代ロックのミュージシャン達はまだまだ活躍しているようで、日本でもたまにコンサートがあるようですので、今後余裕ができたら、見に行ってみたいと思っています。

また、秀麗会ゴルフ部にも仲間に入れてもらって、幹事長のK君のもと、ゴルフもたまに楽しんでおります。日頃はA君、W君、M君、N君にはお世話になっております。秀麗会は、あまりにもレベルが高すぎて、 ついていくのが大変ですが、皆さんの足手まといにならないよう今後も頑張りたいと思っております。昨年は秀麗会ゴルフ部ヘタ王に輝いてしまい、今年もほとんど確定だと思われますが、来年こそ(毎年来年こそですが?)ガンバリマス。ただ残念なのは、永遠のライバルT.K君があまり参加してくれなくなったことです。T.K君!来年は是非参加し、秀麗会ゴルフヘタ王を競い合いましょう。

以上徒然に殴り書きしてしまいましたが、秀麗会の皆様今後もよろしくお願いします。



 
  F組 浦野 守さん

 〈ゴバン サード ウラノ クン〉は微かに震えていた。武者震いというより、目の奥に込み上げる何か熱いものを必死に抑えているようだった。
 2012年7月19日。勝てば伊那北は実に40年ぶりのベスト4。負ければ文字通りこの日が彼にとって野球最後の日となる。相手は長野日大。雪辱戦である。それまで、緒戦の軽井沢を除き、長野、松本深志、シードの諏訪清陵と、けっして楽な試合ではなかったが、この試合に秘めるものは大きかった。
 「ハグしてほしいらしいわよ」。朝の散歩から戻ると、台所の女房が言う。〈ゴバン サード ウラノ クン〉は戦支度を整え母親のそばにたたずんでいた。背番号「5」がいつも以上に大きく見えた。袖に刺繍された3つの金星、ソックスに染められた3本の白線がいつも以上に光輝いて見えた(ちなみに、この3という数字は伊那北の甲子園出場回数だ)。
 女房の意外な(お帰りなさい)に、息が止まった。
 〈ゴバン サード ウラノ クン〉は、引き寄せると、思った以上に背が高く、当然のことながら贅肉など一切なく、背中は硬くゴツゴツしていた。言葉がなかなか出なかった。戦地に息子を送り出す父親の気持ち、とまではいかないまでも、最後の野球になりかねないだけに、誇りと不安の交錯した気持ちを抱かざるを得なかった。重ね合う彼の胸からもそれが伝わってきた。つい、涙腺を緩めてしまった。
 母親はこの場面をどんな思いで眺めていたのだろうか。自分もハグしたかったのだろうか。
 父親であってよかった。搾り出した励ましの言葉は、「やるぞ」と、それだけだったが、十分だったと思う。
 昨夏、2年生主体の伊那北は、負けはしたものの長野日大を苦しめた。逆転された4回、〈ゴバン サード ウラノ クン〉が同点2塁打。拮抗した展開が、あの中原監督を慌てさせた。試合後、長野日報スポーツ部記者の取材に、「自分のエラーで3年生の夏を終わらせてしまった」とコメントしたのも、2年生の〈ゴバン サード ウラノ クン〉だった。それだけに、今年の長野日大戦に懸ける思いはほかの誰よりも大きかった。今年の長野日大は、長野に練習試合だが1勝3敗と負け越している。勝てない相手ではなかった。
 一方、佐久長聖に続いて優勝候補として名が挙がっていた松商を破ったのが、伊那北の16年ぶりのベスト8を決めることになった諏訪清陵だった。
 ベスト8。この瞬間、伊那北の応援スタンドは歓喜の渦に包まれた。みんなが抱き合い、握手し、手をたたきあい、喜び合った。私などは、近くにいた北沢(旧姓西村)ちえみさんに抱きついてしまう挙に出てしまった。ちえみさんも快く応えてくれた。家族以外の女性と抱き合うなんてことは、そうあるものではないが、うれしさの程の計り知れなさが理解していただけると思う。ただし、「スタンドに旦那さんがいるというのに、大変失礼なことをしました」と、ちえみさんにはお詫び申し上げねばなるまい。互いに裸でなくてよかった。申し訳ありませんでした。
 今年もとうとう『ああ優勝旗』は歌えなかった。ただ、古豪復活の狼煙を上げることができたと思う。古豪復活の布石を打つことができたと思う。伊那北球児に悔し涙はほとんどなく、完全燃焼した感さえあった。彼らからは、本当の意味の元気をもらえた。〈ゴバン サード ウラノ クン〉にも言いたい。「君の父親であったことを誇りに思う」。
 と、以上、来年3月の卒業式後に息子に言おうと思っていたことを、秀麗会HP「今月の顔」用に大きくリライトしてみた。高校時代にはけっして戻れないけれど、思い返せば、息子たちと同じように、心に秘めるものを持ち、夢を追い掛け、感動を求めていた。思い出深いそんな過去を共有しながら秀麗会のみんなと一緒に今後も歩み続けたいと思う。お頼み申します。
 ちなみに、長野県代表として今夏、甲子園に出場した佐久長聖の〈イチバン ショート カミジマ クン〉は、わが秀麗会、上島猛君のご子息であることを申し添えておきたい。彼もまた、誰よりも増して心に秘めるものを持ち、試合に臨んでいたに違いない。(終)

(今月の顔に掲載時は、縦書きにして掲載。バックナンバーにつき、横書きのまま表示)


 
  E組 廣瀬 一男 さん

E組の廣瀬一男と申します。56年に地元の市役所に奉職以来、地道に日々の生活を送っております。家族は、父と妻、子供2人と犬ですが、現在子供たちは東京の大学に行っているため、3人プラス1匹の少人数で暮らしております。

 最近は妻と山歩きを始め、7月の梅雨明けに1泊2日で尾瀬に行きました。天気にも恵まれ、可憐な花々も歓迎してくれました。何より良かったのは、山荘での生ビール。尾瀬沼山荘は、個室で風呂があるため、風呂上がりの生ビール⇒日本酒⇒バルベニーと尾瀬の水でのトワイスアップで撃沈。6時には眠りにつき、翌日5時まで。久しぶりの爆睡でした。

秀麗会の皆様とは、30周年を機会にして、ゴルフ、への字庵での蕎麦の会、キャンプ、イスラム御殿での豪華ワイン会等々、高校時代は一度も話をしなかった皆様とも、楽しくおつきあいさせていただき、本当に感謝しております。ゴルフの連絡を小まめにやってくれる小松さん、各種の催しを企画、実行していただける皆さまに改めて感謝いたします。(ゴルフは下手ですが、気長に付き合ってください。皆さんのご指導で、8月12日には何と89を出すことができました。今後はアベレージ95が目標です)

55歳を目前にすると、家庭や仕事に目処がついてきたためか、伊那小文組、伊那中3組、大学の仲間とも久しぶりに会って話をする機会が増えました。今年の七夕も、イクと河西さんのおかげで、美人ジャズシンガーyukiさんの「のどちんこ」が見えるかぶりつきの席を用意していただき、小学校の同級生のK子さんと並んでライブを楽しめたのは、天にも昇る気持ちでした。本当に感謝、感謝です。その後のアンバーでのお酒もとびきり美味しかった。いそいそと出かける私を見て、妻があなたの年代は「変だ」と言っていますが、これからも楽しいことは止められません。
秀麗会がここまで楽しくできるのは、なんといっても河西さんの掲示版のおかげです。この場をお借りして感謝。感謝です。まさに「同窓会のIT革命」ですね。

私は生来の遊び好きなので、1に「食べる、飲む」2に「旅する、入る」を楽しみに日々を過ごしております。
1 については、ビール、日本酒、焼酎、ワイン何でもOKですが、特に好きなのは、温泉上がりのビールの一杯。(最近家で飲むのは、麦とホップが定番となってしまい、子供の仕送りが終了したら、ビールへの昇格を切望しています。)その後の純米酒のぬる燗(美味しい海の幸があれば最高)をゆるゆると。
ワインも好きですが、日々の食生活がワインに合わないため、普段はほとんど飲みません。Oさん(はっとりさんの親戚)で開催されるワイン会に年5回ほど参加し、毎回10種類ほどのワインを、奥様の手料理とともにいただくのが定番です。その他には、同僚や後輩たちと若い女性を含めて年2回ほどワインの会を楽しんでします。6月のイスラム御殿でのワイン会も素晴らしかった。ナパバレー97リパリ―タ カベルネ100でありながら、あれだけの華やかな香りを放つマグナム。カリフォルニアの大地、太陽の力に圧倒されました。次はト カロンかな〜 継続開催を切望します。
しかし、最近のワインは値段の高騰が半端ではなく、小市民には手が出ないものになってしまったのは非常に残念。でも、一度口にしたら忘れられないインパクトがあり、非日常のハレの日に飲みたくなるものです。DRCのグランエシェゾーの官能的な香りは今でも忘れられません。その他印象に残っているのは、50歳の誕生日に飲んだ、自分の生まれ年の1958バローロ。レンガ色をしていて水のような滑らかさ。将来の自分も、こんな枯れかたをしたいなと思わせる一本でした。
自宅のワインの在庫本数も少なくなり、これからの楽しみは娘の生まれ年の92のラターシュ等10数本のみ。大学卒業か、資格試験の合格か、結婚式等のハレの日に味わいたいと思っています。

2 についてですが、「大人の休日倶楽部」はご存知でしょうか。吉永小百合のCMなら一度は見たことがあると思います。50歳になったのを契機にさっそく入会し、おいさんたちで東北、北海道方面の鉄旅を楽しんでいます。この9月の初旬にも、遅い夏休みで、八戸の屋台めぐり、八甲田の秘湯、大間のマグロ、下風呂温泉などを楽しんできました。私はサユリストではないのですが、吉永さんが取材で訪れた、「山き」という店で、小百合さんが座った椅子に座り、東北の美酒、美人ママさんとの会話を満喫しました。ママさんの写真は公開できませんが、一度行ってみてください。私の隣に来て、かっけ鍋を作ってくれたのですが、上品で妖艶な色香に久しぶりにドキドキしてしまいました。3次会で、声をかけてきた若いカップルとの会話も楽しかったし、翌日の大間の海峡丼も最高でした。これで3000円。ご飯の前のコップ酒2杯のアテとしても十二分でした。伊那の皆様には、飯島食堂のかつ丼の海鮮丼版と思っていただければわかりやすいのでしょうか。

秀麗会の皆様は全員有資格者ですので、東京の皆様で、大人の休日倶楽部を使っての「大人の修学旅行」などを企画しても面白いのでは・・・(これはわきさんの担当でしょうか?)
来年から、妻も有資格者となるため、おいさんたちの気楽な旅の回数が減りそうなのが悩みの種です。

「入る」は温泉に入ること。大学時代に九州の友人の家を回りながら、2週間ほど旅行したことがあり、その時に「寒の地獄」や別府、指宿などの温泉とめぐり合い、以来温泉好きになりました。1回の温泉旅行で、40湯に入ったこともあります。大規模温泉旅館の形ばかりで、カルキ臭のする露天風呂は× 「泉質重視」「大自然」「地元のみなさんとのふれあい」「リ−ズナブル」の4点を重視して温泉を選んでいます。お勧めは数え切れないほどあるのですが、九州の「壁湯」「川底」「奴留湯」の3つの温泉は絶対のお勧めです。湯布院と黒川温泉の中間にあるので、九州に行く際は、是非ともお立ち寄りください。我々の温泉仲間でも、10年以上たってもいまだに話題に上るほどです。
独断と偏見の温泉宿ベスト5は、「三朝温泉の大橋」「20年前の不老不死温泉」「旅行人山荘」「湯の倉温泉 湯栄館(地震のため水没)」「明賀屋本館」解説すると長くなるので紹介までで申し訳ありません。温泉ではないが番外編としては、「長崎のオーベルジュ赤玉」「バリ ジンバランのフォーシーズン」

40周年に向けて、ますます熱くなる秀麗会。これからもよろしくお願いいたします。

最近は日の暮れるのも早くなりましたね。酒がおいしい季節です。みなさん、今夜も一献

     白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ



 
  D組  横田 克彦 さん

D組の横田克彦です。
駒ヶ根市で「ユー歯科診療所」を開設して、仕事に、研究に、遊びに充実した毎日を送っております。

河西さんから突然のご指名で、何を書こうか迷いましたが、「ネパール」のことを書くことにしました。

ネパールは、地球儀で見てもらうとわかりますが、インドの上の方にあります。
人口は約3千万人、面積は日本の半分に満たない程度です。
有名なのは、なんといっても、ヒマラヤ山脈の玄関口ということです。
エベレスト、K2、カンチェンジュンガは、世界の山の中で高さbP,bQ,bRです。
またダウラギリ、マナスル、アンナプルナ、マチャプチャレなども有名な山々です。

マチャプチャレ
アンナプルナ
ペア湖

さてなぜそんなところに行ったかというと、40歳まで在籍していた日本青年会議所医療部会の医療ボランティアで行くことになったからでした。
初めて訪問したのは、今から20年前。
ネパールの首都カトマンドゥの空港に降り立った時の異文化との遭遇は、強烈で、今でも鮮明に覚えています。
今まで嗅いだことのない匂い。人々の目の強烈さ。けたたましいバイクの警告音。幹線道路にうろつく牛。
筆舌に尽くしがたい山々の神々しいまでの美しさ。今にも手の届きそうな満天の星空。
いや〜、ハマりました(笑)
そんなネパールに魅せられ、訪問しているうちにいつのまにか18回にもなってしまいました。

ちなみに、私がネパールで医療ボランティアでかかわったことがきっかけで、駒ヶ根市とネパールのポカラ市は国際協力友好都市になりました。
締結後すでに11年経過し、この秋、ポカラ市に共同設立したマタニティー病院が開設されます。

観光客はヨーロッパ人が多く、1〜2週間かけて、トレッキングを楽しんでします。
またエベレストは、1時間の遊覧飛行で、しっかりと見れます。

是非、みなさん、一度でいいのでネパールを訪問してみてください。
人生観が変わりますよ(笑)



 C組  小林 正良 さん

 こんにちは。C組の小林正良です。伊那北時代は演劇部と剣道部に所属していました。高3では演劇部長を務めましたが実質的なボスは副部長の西村ちえみさんでした。1年生の時私が練習をサボって帰れないよう下駄箱の下駄を隠したのも、ちえみさんでした。笹川明くんはサッカー部、内藤睦夫くんは美術部との掛け持ちでしたし、北原祐子さんは高2(?)からの中途入部なので、3年間演劇部一筋のちえみさんが大黒柱でした。演劇の部室が共用だったこともあり文芸部の花岡美保さんや宮沢澄さんとも「男子と女子は親友になれるか(笑)」なんていうテーマを大真面目に議論(爆笑)したりしました。
  剣道部は高3の時インターハイ予選で県大会に進出しました。しかし結局敗退。帰りの電車の中で部長の北原学人くんは「僕には剣道しかない。正良には演劇や音楽もあるから分からないだろうが、剣道だけに賭けてきた僕の高校生活はこれで終わったんだ」と言って泣きました。「音楽」というのは、小1から高1までの10年間ずっと同じクラスだった笹川くんとデュオを組みペン祭などで歌っていたことです。SBCラジオのアマチュアバンド紹介番組でオリジナル曲がオンエアされたこともありました。5年前、30年ぶりに再会した松井謙治くんにも「あの試合で大将の小林が負けた時、俺の青春は終わった」みたいなことを言われました。私は自分の試合結果を完璧に忘れていました。勝っていれば、たぶん克明に覚えていたんでしょうけど…。県大会に出られたというだけで十分ハッピーだったのかもしれません。
 演劇を勉強するつもりで入った文学部でしたが、演劇科が能や歌舞伎など古典芸能を学問として研究するところのように見えて、結局英文科に進みました。そして、卒業後は都内の女子校に就職しました。海外交流がさかんな学校というのが大きな魅力でした。生まれて初めての海外体験はサマーセミナー引率でのホームステイ。また、姉妹校での寮生活も経験しました。たまたま昨日読み終えた赤坂真理さんの新作「東京プリズン」は、ちょうどこの頃のことを扱っています。赤坂さんは私の勤務校の卒業生ですが、小説の中で15歳のマリがメイン州の私立高校に留学した1980年は、私が教員生活を始めた年でした。同じニューイングランドにある姉妹校へは2002年のプログラム終了まで何度か行きました。9・11の影響もあって、その後、夏休みのセミナーはアメリカからオーストラリアへと場所を変えました。他にハロウィーン前後に中3がカナダの姉妹校を訪れるツアーがあり、こちらでも数回ホームステイをさせてもらいました。
 こうしたプログラムでの話のネタとして始めた趣味が尺八です。公民館主催の文化講座に3ヶ月ばかり通った他はほとんど自己流ですが、お気に入りのジャズ尺八奏者ブルース・ヒューバナーのような華麗なインプロビゼーションが目標です。また、演劇クラブの顧問として芝居を書くことも仕事を兼ねた趣味になりました。32年間で8作。平均すると4年に1本というスローペースでやっています。就職して最初の5年間はフェンシング部との掛け持ちでしたが、1985年に青雲書房の「ザ・シアター」という戯曲集に作品が載った頃から、演劇一本に絞らせてもらいました。剣道のほうは体育科に高段者がいることもあり顧問はしていません。ただ、7段の先生に勧められて昇段審査を受験し3段までは取得しました。同じ先生から受けた居合の手ほどきは演劇の殺陣指導に役立っています。この生徒相手のチャンバラごっこも私の趣味といえるかもしれません。
 スキーも社会人になって始めた趣味です。きっかけはスキー教室。インストラクター養成のための教員旅行に連れて行かれたのが最初でした。指導員の資格はまだありませんが、オーストラリアの姉妹校からきた短期留学生に初歩を教えたりしました。南半球の夏休みはこちらの冬ですから、日本の家庭で正月や雪景色を楽しむのにちょうどいいのです。こうした交流があったので、東日本大震災の際は、海外の若い友人からメールやfacebookで、お見舞いや励ましをもらいました。
 以上、私の趣味について書いてきましたが、全部仕事がらみですね。我ながらなんと仕事熱心な先生なのかと(笑)感心してしまいます…ホント。しかし、私も今月末には55歳。四捨五入すればナント赤いチャンチャンコを着る歳ではありませんか!!お互い、健康のため働き過ぎに気をつけて、元気に人生を楽しみましょう。/(^o^)\



 B組  滝沢 和夫 さん

 昨年の関東同窓会からもう1年が経とうとしているのですね。早いものです。
 ご無沙汰しています。B組、滝沢です。昨年暮れの飲み会で伊藤均君に1月の登場をお願いし時間かせぎをしたつもりだったのに、あっという間に7月が来てしまい、重い腰をあげました。

 高校時代は陸上ばかりやっていて記憶にない方も多いと思いますので、改めて自己紹介そして近況報告をしておきたいと思います。
 駒ヶ根東中卒。出身は駒ヶ根市中沢中曾倉、今思うととてつもない田舎でした。中学時代はサッカー小僧でしたが、陸上競技にも駆り出されていたのが縁で高校では陸上部でした。双子の弟が1人いて、赤穂高校でやはり陸上部でした。(滝沢と間違えて声をかけた人も何人かいるようです)それぞれ銀行・証券会社に就職、お互い転勤ですれ違いも多く、10年以上顔をあわせないこともあります。
 父親は既に亡くなり、母親一人では不安なので市の施設に入ってもらっています。実家は朽ちるがままにしています。松井君がわざわざ母親の所まで訪ねてくれて滝沢の所在が分かり(それまでは「行方不明者」だったようです)今ここにいます。感謝。


おっとり長男

気の強い三毛お嬢様

 現在の家族は、まず猫から。夏痩せしても8sのおっとり長男、気の強い三毛お嬢様、いたずら小僧の次男の3匹です。うちの子になった経緯はそれぞれ異なりますが3匹とも元野良猫です。人間の家族は、妻(東京北区神谷の出身、建設会社に勤めていました)、長女(市立中学2年。軟式テニス部で毎日練習に明け暮れています。166cmもあれば身長は十分だと思うのですが、本人はまだ大きくなりたいそうです)の2人です。

 高校卒業後ずっと根なし草状態で、世田谷(学生時代の4年間) → 横浜(独身寮、8年!) → 練馬(気ままに一人暮らし) → ニューヨーク(結婚と同時。6年いても英語は苦手) → 千葉(長女が生まれました) → 香港(蒸し暑かった) → 沼津(とにかく魚が旨かった) → 世田谷(遠い・高いのUR)と転々としたあげく、調布に家を買ってようやく定住しました。2年ほど前にNHKの「ゲゲゲの女房」の舞台になった深大寺(じんだいじ)という古いお寺の界隈です。転々とした末にたどり着いたところもやはり田舎でした。入社のときに「子どもは小学校を2回は転校する」と言われたわりには、結局幼稚園の転園(?)1回だけで済みました。この年になればもう転勤も引越しもなく落ち着けるはずだ、と勝手に決めています。

 サラリーマンはどんなに勤め続けても自分の腕一本で生きられる「手に職」が身につくわけでもなく、使い物にならないなと最近特に痛感しています。

 自分のことばかり長々と書いてしまいました。
 1周年ということで今月の関東同窓会にあわせて東京で飲み会があります。皆さんに会えるのを楽しみにしています。


 A組  藤澤 寛 さん

 尾張名古屋は城でもつ。名古屋城、金シャチのもと。「偉大なる田舎」の異名をもつナゴヤ。東京、大阪と違い、都会らしからぬゆったり感があります。

 秀麗会の皆さん、お久しぶりです。A組の藤澤 寛です。河西さんから「今月の顔」の依頼を受け、何も考えず返事をしてしまいました。近況報告です。
 愛知県、名古屋に来て、36年が経ちました。学生時代、就職して結婚するまでは名古屋市で過ごし、現在は江南市で暮らしています。
 江南市について少し紹介します。愛知県の北部、木曽川の南に位置しています。江南市の「江」は木曽川のことです。木曽川の扇状地にあり、温暖で真夏を除けば暮らし易い町です。また名神高速・小牧インターから北西5キロほどの所にあり、名古屋駅からも公共交通機関を使うと20分ほどです。史跡、旧跡も多く、織田信長や豊臣秀吉をはじめとする戦国武将の青春時代の舞台です。

木曽川を望む
フラワーパーク江南 庭
フラワーパーク江南
  中日新聞社に入社して32年目になります。管理部門で業務系のシステム関係の仕事を長年やってきましたが、昨年、インターネットサービスを行う電子メディア局に異動になりました。Webサービスを始め、スマートフォン、携帯サービス、電光ニュースの配信、記事データベース販売が主な局の業務です。また、中日新聞社と関連があるテレビ、ラジオ、ケーブルテレビとの連絡調整の業務も含まれます。放送局との仕事も増え、現在は新鮮な感覚で仕事をしています。
 新聞業界は若年層を始め、インターネットから記事の無料提供で新聞離れが進み、厳しい状況が続いています。この現状を打破するため日々無駄を省き、業務の活性に取り組んでいます。
 地域と共に歩む中日新聞社では、中日新聞を東海、中部の7県、東京の地元紙として東京新聞を関東の1都6県、北陸中日新聞を、石川、および富山県で発行しています。東京新聞は原発報道が「ぶれていない」ということで評価が上がっています。関東地区にお住まいの方は是非一読して頂ければ幸いです。
 昨年からは中日ドラゴンズの実況中継、一球速報を「ドラゴンズ情報」(月315円)としてスマートフォンで提供しています。地上波でのプロ野球中継が減少している中、ドラゴンズファンには貴重な情報源になっています。なお、参考までにスマートフォンの「ラジコ」でプロ野球中継、東海地区ではCBCラジオ、及び東海ラジオを聴きながら合わせて使うと臨場感が倍増します。ドラゴンズはセリーグ3連覇を目指しています。ドラゴンズの勝敗に一喜一憂する日が続きます。
 現在の趣味は、体力を維持するため、へたですがゴルフを続けています。週1回の練習と月1回のコースでのラウンドは欠かせません。クラブを替えたことでドライバーの飛距離が30ヤードアップしました。スコアにつなげたいものです。また、歴史小説を始め、歴史に関する書物、最近は「日本人のルーツ」に関する書物に興味があります。
 愛知は日本のふるさと、戦国時代、尾張、三河の文化は全国各地に広がり、そのDNAは生き続けています。また、「ナゴヤめし」など食文化をはじめ愛知,名古屋から新たな発信が続きます。最近、松沢君をはじめ名古屋に転勤されてくる方が増えています。ナゴヤ文化を楽しんで頂けたら幸いです。
 それでは、秀麗会の皆さん、また再会する日を楽しみにしています。



 F組  松井 謙治 さん

ついに私の番が回ってきてしまいました。F組の松井です。
もう何十年も前になりますか。大学を卒業して東京の会社に7年間勤めて東京人になろうと決めた矢先に仙台転勤の辞令が出て、「東京本社で自分は必要ないのか!」と腹を立て辞表を出し、「やはり2つのアルプスが僕の帰りを待っているんだ!」と勝手に判断して、故郷駒ヶ根に都落ちしました。
故郷に錦を飾った訳でもないので、当然暖かく迎えてくれる方もいる訳もナシ。
仕方が無く自分で企画して高校同窓連中に声を掛け、自分の歓迎会を主催したのが始まりでした。
それが暑気払いや忘年会に変わり、高校卒20周年、30周年、35周年につながった次第であります。
そのためか未だにズッと秀麗会の事務局をやっています。
別に口が硬い訳でもないのに皆様の名簿を預かったり、秀麗会の口座を預かったりで、さぞ皆様はひやひやされているのに違いありません。でも一切それでお金儲けをしてませんからご安心を!

高校時代は知る人ぞ知る、プロ野球ジャイアンツ(巨人とは呼ばない)、オーディオの大ファンでした。
最近は野球中継がほとんど無いので見られませんし、オーディオもアナログからデジタルに変わってから興味が無くなりました。ただの無趣味なオヤジに成り下がっております。
ただ数少ない私の誇りは天地真理のレコード(シングル全部)とカールベーム指揮ウィーンフィルのベートーベン交響曲全集を持っている事くらいです。 

カールベーム指揮ベートーベン交響曲1番〜9番
テンポはゆっくり目だがベートーベンの気持ちを良く汲んでいる様に思える。
天地真理のシングルレコード一覧
ジャケットの顔が年々変わっていくのがわかる

しかし実は僕の最高に誇れる事、それはすばらしい洒落(オヤジギャグとも言うらしい)であります。
並のギャグではないので、なかなか理解してもらえないのが残念ですが、家に帰ってから「ああっ!松井はあんなすばらしい事を言ったんだ!」と理解してくれる人がたくさん居る事を祈ります。

誰だかが「今訳あって一人で住んでいます。」とありましたが、私は訳もなく(ただ降られただけ)一人(いやお袋と二人)で住んでいます。介護問題の波をもろに受けている人間の一人でもあります。
親の介護をしている同窓の独身者を何人も知っていますが、皆様生き生きと前向きに仕事しているところを見て、僕も見習わなくては、といつも励まされています。
また、そろそろ定年なんかも考える人も出て来るかもしれません。
自分たちもそろそろ初老の域に踏み込んで行くのかな、と思うと少々寂しい気がします。
そんな中、高校卒40周年に向かい、出来るだけ秀麗会として多くの集いを作っていく事が、僕の勤めかな?と勝手に思います。
皆さんこれからも宜しくお願い致します。



 E組  宮下 学 さん

こんにちは、E組の宮下学です。通称「殿」と呼ばれています。
今回の表紙を飾るにあたりまして、私個人の事は、特に書く程の事もありませんので、仕事・遊びで何度も訪問したシンガポールとマレーシア(マラッカ)について紹介させていただきます。(シンガポールは20回以上、マレーシアは10回くらい行きました)
また、今回ご紹介するのは、あくまで昼間の情報です。夜の情報は個人的にお尋ね下さい。

・シンガポールは日本から飛行機で6〜7時間、時差1時間、赤道直下にあり、治安も良く、大変清潔な国です。人口は400万人くらいで、中国系が約80%以上で日本人は約1%(3万人以上)住んでいます。ちなみにシンガポールで生まれ育った人は民族に関係無く、自分達の事をシンガポーリアンと呼んでいます。面積は山手線の内側(又は淡路島)ほどのため、1戸建の住宅はほとんど無く、高層マンションやアパートにほとんどの人が住んでいます。言葉は英語が通じます(シンガポール英語の事を通称シングリシュと言います)
狭い国土なので、車の台数を制限していて、マイカーを持つ為には、所有する権利が500万円くらい、車本体の値段も日本の2倍くらいしますので、トータルで1,000万円以上かかります。ただ、地下鉄、バス、タクシーはかなり普及していますので、生活には支障はありません。また、街の中心部へ車で乗り入れるとETCシステムで入場税を徴収されますし道路はほとんど一方通行です。街はかなりの大都会で、日本の高島屋、伊勢丹、西友、そごう、明治屋、大戸屋、一風堂、紀伊国屋書店、サイゼリアやコンビニは当然あり、近代的で日本の物は何でもありますが、値段は日本で買うよりも高額になります。
また、現地の駐在員が別名:「明るい北朝鮮」と呼ぶほど国家の統制が厳しい国で、例えば、禁止薬物はもちろん極刑ですが、その他に週刊誌の水着写真、ガム、タバコのポイ捨て等罰金が課せられる事がかなりあります。その中で特に日本人が注意しなければならないのがタバコの持込で、成田空港の免税店で2カートン(20個)くらい購入してそのまま持込もうとし見つかった場合、新製品の高級ゴルフフルセットが買えるくらいの罰金を取られますのでご注意下さい。税関にはX線装置が有り、怪しい人物の荷物はチェックされます。(私はいままでチェックされた事はありませんが、当社の社員では何人かいます)ちなみに現地ではタバコは一個1,000円くらいしまして、灰皿は街中の主要な箇所にありますが、私服の調査員(秘密警察)がいて、海外から持込んだタバコかどうかチェックしていることが時々あります。(当社の社員でも何人か罰金を払わされました)。            
・1番目と2番目の写真は2年くらい前に出来た新名所「マリーナベイサンズ」と言うラスベガスのカジノ会社が造ったホテルです。55階建のホテル3棟を屋上で繋ぎ、屋上には宿泊者専用のプールやラウンジもありますし(3番目の写真です)、地下には巨大なカジノとショッピングセンターがあります。カジノは大きな体育館ほどの広さがあり、高額なチップを払う客専用のVIPルームもあります。また、屋上へは一般客も一番左側建物の展望台へ有料で行く事ができます(4、5番目の写真はそこで撮った写真です)。ホテルのランクとしては、最上級というほどでは無く(1泊一人25,000円くらい)、ラッフルズ、パン・パシフィック、フラトンの次くらいです。ちなみに有名な(?)マーライオンは4番目の写真の下側(橋の左下)で水を吐いています。5番目の写真のゴルフ場はパブリックのマリーナベイ・ゴルフ場です。また、チャンギ空港は写真の右上部方向にあり、空港から中心街まではタクシーで30分、1,500円くらいです。 
・次にマレーシアの紹介をいたします。マレーシアはマレー半島部分とボルネオ島北部部分の2箇所に分かれた王制国家で、人口約3,000万人でマレー人が60%〜70%、残りを中国系とインド系が占めている他民族国家です。マレー人の宗教はイスラム教で女性はヒジャブと言われるスカーフを頭に巻き顔の部分のみを出しております。また、ホテルの部屋の天井には聖地メッカの方角が矢印で示されております。ブミプトラ政策といって公務員採用や国立大学入学はマレー人優先の政策を行っていますが、実際の経済は中国系、インド系が握っています。また、他民族国家のため、イスラム教のラマダン(断食)、インド正月、中国系の旧正月、日本人の正月等の色々な休日があります。リゾート地としては、ペナン島、ランカウイ島が有名です。公用語はマレー語ですが、英語、中国語等が入り混じっています。
・6番目の写真は「スターヒル・ゴルフコース」と言うマレーシアの一番南、シンガポールのすぐ北のジョホールバルと言う都市に有る日本の「星岡茶寮」が経営している36ホールのゴルフ場です。シンガポール内のゴルフ場はどこも高く(2万円以上)、メンバー同伴厳守の所が多いため現地の駐在員は良く利用しています(シンガポールから1時間以内で行けますし、1万円以内で出来ます)。赤道直下ですので、日本に比べればかなり暑いですが、フェアウエー内もグリーン手前までカート乗り入れが出来てボールのすぐ近くまで行けますので、体力の消耗は少ないと思います。
ただ、こちらでゴルフを行う時の注意事項ですが、ボールがコース横の水路(U字溝等)に入ってしまったら、手を突っ込んで拾わずにまずクラブを突っ込んで下さい。蛇がいる可能性があります。(こちらのヘビは毒ヘビです)。また、コースにある大きな木の下には行かない方が良いです。上から蟻が落ちてきます。こちらの蟻は顎が強く襟または足元から進入して噛まれます。さらに、ボールが林の中へ行っても探しには行かない方が良いです。猿等の動物がかなりいますので。
・7番目の写真はマレーシアの古都マラッカの教会です。
マラッカは首都クアラルンプールから南へ車で2時間、シンガポールからは北へ車で3時間くらいのマラッカ海峡に面した歴史の古い街です。2年ほど前に世界遺産に指定されましたが、それほど広く無く、半日もあれば見物できます。フランシスコザビエルの墓、日本人墓地、サンチャゴ砦、中国人街等があります。ちなみに当社の工場もここに有ります。日本人も100人くらい住んでおりまして、スーパーのジャスコ(イオン)やカルフールもあります。また一歩郊外へ出ればゴム園やヤシの実園(ココナッツではなく、油を採るパームヤシ)が広がったいかにも東南アジアと言う場所です。マラッカだけ観光で行くのはやや無理だと思いますので、JTBでよくある「クアラルンプール」→「マラッカ」→「シンガポール」というツアーで行かれるのがベストだと思います

 



 D組  中山 康 さん

 秀麗会の皆さん、ご無沙汰しております。河西さんより「今月の顔」の依頼があり、わからぬまま、断る理由がないので近況報告をします。
 現在も「長野ろう学校」で美術の教師をしています。以前ここでも話題にしていただいた学校改築の話も、本年度着工となり、来年度中には引っ越しできる見通しとなりました。ご支援感謝いたします。
 さて、プライベートの話です。
 写真は昨夏、仕事場で石膏型をいじっているところです。大学では彫刻の勉強をしましたが、年を取るにつれ型取りしたり鋳込みしたりするのが面倒になり、最近は陶芸及び陶彫をやっています。陶芸と陶彫の違いは、陶芸は使える物、陶彫は使えない物(「オブジェ」という言い方もします)と自分では定義しています。年に数個ずつ使えない作品が増えていくため、かつてゲイジュツに理解のあった女房は、「これ将来どうなるのかな」とさりげなく痛いことをつぶやきます。自分では陶彫と日用陶器はつながっており、感性の合う人が見て触れれば、必ず傍らに置きたくなるはずだと、かなり楽観しています。もし作品に共感できる方、波長の合う方、ご一報下さい。作品は主に、高山村にある「赤和窯(窯主:荻原恒夫氏)」という穴窯で年4回ほど焼きます。1回の窯焚きで約5日半、多くの方達と一緒に行う共同作業です。キャンプの焚き火と同じで、火をたくのはとても神秘的で好きな作業です。
 家は、E組「アトリエジャズ」の城倉直ちゃに設計してもらいました。うまく設計してもらった薪ストーブの前は、とても居心地の良い場所になっています。
 自宅と仕事場の間にある庭に、山野草を植えています。毎年春先咲いてくれたシラネアオイが昨年突然枯れてしまいました。理由がわからず残念です。誰か詳しい方、教えて下さい。
 後、条件の良い朝方や夕方、近くの川に釣りに出かけます。長くても1時間くらい、魚とのやりとりだけを考え、頭を真っ白にできる時間です。川から無理矢理引っ張り出された宝石のようなイワナやヤマメをしばらくの間眺め回し、「ありがとね。もっと大きくなったらもう一度会ってね。」と水に戻します。川でニヤニヤしながら独り言を言う気持ち悪いオジサンでもあります。



 C組  酒井 宏 さん

C組の酒井 宏です。春富中出身です。
先日三井から寄稿の依頼がありましたので、近況を取りとめもなく 書いてみます。
(酒井と言っても知らない人が多いと思うので、 夏ごろの写真ですが、添付します)。

今年の冬は本当に寒く、先日東京でも雪が降り、翌朝は路面がばりばりに凍り、かなり危険な状態になってました。
三井からの1月早々のメールで「伊那のアメダスの最低気温はマイナス8.4℃、実にキリッとした朝でした。 
小学生のガキの頃は、毎朝真っ暗いうちにスケートに行ったもんだが・・・・・」という話があり、全く忘れていた当時のスケートの事を懐かしく思いだしました。
本当に当時毎朝スケートが楽しみで、今よりもずっと寒い中、良くやってたもんだなと思います。
特に私の場合小学校の低学年の間は、兄達からのお下がりの「下駄スケート」で滑ってました。靴下の上から紐でスケートを縛っただけゆえ、寒かったはずですが、余りそういう記憶はないものですね。
(会社の同僚に、下駄スケートの話をしても、誰もどんなものか理解できず、 時代が違う人間の如く、結構笑いのネタになってました)。

さて大学卒業後商社に入り、繊維部門に配属となり、ソウル1回とニューヨーク3回で通算17年の駐在となり、入社後半分以上は海外で(しかも寒いところばかり)暮らしてきました。
(NYの最後一年はマンハッタンに住んでいて、そのアパートから撮ったエンパイアビルの写真を添付します)
駐在時代に恋焦がれるのは「温泉」です。日本に帰ったら、温泉に行きたいとずっと思ってました。
温泉がベスト。最近は箱根とか草津などに行きましたが、 銭湯でも、ゴルフ場のちょっと広めの風呂でも、今は結構楽しんでます。
伊那に帰るのはお盆位ですが、その時は何時も「見晴らしの湯」に行って、ゆっくりとお湯に浸かって、伊那の風景を楽しんでいます。

国内でも、会社に入ってからは大阪がスタートで、金沢にも3年程いて、海外も合わせると引越しは10回以上、会社では「引越しの酒井」と呼ばれてますが、最近は東京に落ち着いております。
昨年は我々の年代が関東同窓会の幹事役で、合戸隊長のもと、また伊那からも大勢来て頂き、良い同窓会になったと思います。
年末の新宿での忘年会も楽しかったですね。また近々皆さんと合えるのを楽しみにしております。




 B組  伊藤 等 さん

 皆さん、あけましておめでとうございます。
まずは正月一枚目の写真は富士山です。

昨年は関東同窓会の幹事役として、合戸君そしてみなさん お疲れ様でした。
会をスムーズに進行させていく為、皆で集まり、 時間的にも忙しい中、余興のシバカン体操まで練習し、拍手喝采。(よくやった!!)
1月3日時点でYou Tubeの着ぐるみ練習は367回見られています。

なぜ1月3日と言いますと、12月29日に河西さんから電話をいただき、 「1月の顔の原稿を早くお願いします。」と言われた時には、箱根にいました。
大変申し訳ございません。すっかり頭の中から抜けていました。  

次の写真は、寿命が7年延びるという大涌谷の黒タマゴです。
皆様も箱根に行ったときは是非7年寿命を延ばして下さい。

その次の写真は、私の奥様と小4の娘です。
結婚が遅かったのでまだ小学生です。
社交ダンスを教えているので、時々フォーマルな衣装を着ます。

最後に、山梨側からの少し紅い紅富士です。







 A組  宮下 義雄 さん

 A組の宮下義雄(旧姓安谷)です。早いもので師走に突入しました。本年は3月の東日本大震災に始まり、大変な1年間でしたが、秀麗会の皆様はお変わりないですか。

2002年長野マラソン
2009年長野マラソン
2011年木曽やぶ原ハーフマラソン

 私の1年間は、まず秀麗会ゴルフの年間10回のスケジュールを入れ、次に長野マラソンはじめ年5回のランニング大会を入れていきます。
 毎月の秀麗会ゴルフは、切磋琢磨しながらの本当に楽しい自丸出しのゴルフです。部長の白鳥君、特に幹事の小松君のお陰で20名前後のメンバーが毎月参加、個々やクラス対抗の○△▽◇も楽しみながらのゴルフです。

 南箕輪村に家を建てて19年になりますが、そのうち単身赴任生活が早15年になりました。現在は東京勤務で、できるだけ週末に帰ってきています。
 ゴルフ打ちっぱなし、ランニング練習や草刈り等、田舎での、のんびり生活でリフレッシュしています。何せ秀麗会のゴルフレベルも年々上がってきていて、皆目が血走っており、気を抜くと大変なことになるので、週末練習と、東京では、週1回スポーツジムにて、30分のランニングと30分のインドアゴルフ練習をしています。インストラクターがいて、先生より私は、池田勇太のおやじになっています。フォームがそっくりとのこと(本人は、石川遼のつもりでやっているんですが)。

2匹の猫だけが
暖かく迎えて
くれます。
雄猫のミュー
雌猫のムーン

ゴルフ以外にもう一つの趣味が13年前より始めたランニングです。高校卒業時よりも20sも体重が増えてしまいました。会社の上司から進められ、完全にはまってしまいました。ランニングハイ、ものすごいアドレナリンが出てきます。

 長野オリンピック記念マラソン(4月)は、12年連続完走(ベストタイム3時間57分)、諏訪湖ハーフマラソン(10月)も11回完走、あと3月の伊那ロードレース(10マイル)、7月の木曽やぶ原高原ハーフマラソン、9月の駒ケ根高原15qマラソンに毎年参加しています。東京マラソン、大町マラソンも1回ずつ走りました。
現在世間では、東京マラソンで火がつき、空前のランニングブームになっています。街では大勢の老若男女の走る姿を見かけるようになりました。
 会社(綿半グループで約20名メンバー 綿半RCクラブお先にどうぞ)でチームをつくって活動もしています。ゴルフとはまた違った汗をかいて、こちらも完走後は、美味しいビールを飲んでいます。
もうひとつの効果は、ランニングで足腰を鍛え、いつまでも(100歳)秀麗会でゴルフができて、ドラコンも取れ、エイジシュートができるようにと思っています。
来年も、秀麗会の皆様が健康で元気の出る年になりますように。



 F組  白鳥 英之 さん

 秀麗会の皆様、F組の白鳥英之です。
高校時代は弓道部に所属していました。部活引退後は音楽部にペン祭のお手伝いに行っていたので、自称音楽部員でもあります。
私はゴルフ大好き人間なのですが、秀麗会ゴルフクラブが盛況なことからもお分かりのように秀麗会にはゴルフ好きは多い。そこであえてもう一つの大切な趣味であるバイクのお話をしようかと思います。

私がバイクに乗り始めたのは高校時代ですが、その後大学、社会人とバイクから離れることはありませんでした。
結婚したての頃も乗っていましたが、子供が生まれてしばらくすると親としての自覚(?)からバイクは降りてしまいました。
ところが、45歳のときに友人が(悪魔のささやきで)ツーリングに行こうと誘ってくれました。これが第2のバイク人生の始まりです。

バイクのいいところは、仲間で集まってのマスツーリングもいいのですが、一人で気軽にふらふらと出かけられるところ。行き先は大体決めておくのですが、一人きりなので気分次第で行き先も変えてしまう、そんな自由なところがお気に入りです。ミーハーですが、この間もNHKの朝の連ドラ「おひさま」の最後に、長野県の名所の写真を見せるコーナーがあり、木曽の大桑村にある阿寺渓谷を紹介していました。あまりにもきれいな写真だったので、ついふらふらと行って美しさを堪能してきました。

それと、バイクは乗ること自体が「操縦する」という感じがして実に楽しい。高原のワインディングロードを駆け抜けるときは一瞬頭がクラッとくるような気持ちよさを体感します。この気持ちよさが忘れられずに、時々ビーナスラインに走りを目的に行っています。
毎年秋にはバイク仲間とツーリングに出かけるのが恒例となっていて、大体は富山県の氷見にある民宿「潮の美」に行きます。この民宿の刺身と白魚の卵とじは絶品で、ツーリングの目的はこれだと言っても過言ではありません。女将もいい人で元美人ですが、宿の雰囲気と部屋は・・・。
これからも安全運転に心がけて、足腰が持つ限り走り続けようと思います。
40周年記念行事で皆さんとお目にかかるのを楽しみにしています。



 E組  富樫 忍 さん

 10月ですね。 きらきらと輝くメインテーマが爽やかで,押し花のロゴも可愛らしく、最後の信州の風景写真がまた素敵! 安曇野を舞台にしたNHK<おひさま>も終わってしまいました。 ちょうど3月11日 出演者のお母さんと会っていて 娘はロケで長野に行くのが楽しみなの、ご実家が信州なんてうらやましいわ。と話していましたが 内容が今回の東日本大震災と重なり合うものがあり感慨深く見ておりました。 この半年いろいろありましたが 皆さま、お健やかでいらっしゃいますか? E組の北原忍と申します。秀麗会のゴルフ部ではお世話になっています。 昨年服部さんに今月の顔いかが?と折角お声を掛けていただいたのにお断りしてしまいました。 次回ね!とお約束しましたので 今回 宜しくお願いします。
 
  伊那北ではコーラス部におりました。 合唱に興味を持ったのは伊那中時代です。 バスケ部に入りましたが練習の際に怪我をしてしまい転部しました。その時、歌う事の楽しさや他のパートと共鳴しあう事に惹かれて 以来しばらく続けておりました。 銀行勤務時代もコーラス部に入り全国大会で各地を周り優勝も度々でした。 2年前にその時の指揮者が97歳で亡くなった際、生前自分の葬儀にはフォーレのレクイエムで送ってほしいとの願いもあり、関係者全員で全曲歌いました。 こんな人生の終わり方いいですね。 先生の作った曲に 乗鞍を歌ったものがあり、5月に蓼科でゴルフをしながら 他の山に乗っかってひとつだけ白い乗鞍岳を眺めて、その歌を口ずさみ幸せな気分に浸っています。 本当に信州の山の美しさは飽きる事がないですね。 雄々しい山々を見ているだけで心が洗われ、凛とします。 私は八ヶ岳の中では阿弥陀岳がごつごつとしていますが温かみがあって好きです。 

  伊那市の歌や 我等伊那北高校の作曲者で名誉市民第1号の高木東六氏をご存知かと思います。もともとは東京上大崎でしたが戦火を逃れて伊那市に疎開されました。中央区に先生のお住まいが残っていますね。私事ですが、今は逗子に住んでいる義母も、ちょうどお向かいさんでいらした高木先生にピアノを習っていたそうで、嬉しい繋がりのご縁を感じています。 先生が作られたザ・シワクチャーズ伊那という入会資格60歳以上というコーラスに実家の母も入っていて来年‘春香'という先生作曲のオペラを合同でするそうですが、戦前朝鮮から帰国されたとき義母がピアノのレッスンに行くと 朝鮮の木彫りの小さな靴のお土産を渡しながら 僕はね、これから朝鮮のオペラを作ろうと思うんだよ。と話されたそうです。 100歳のお誕生日コンサートがトーロクイヤー(平成16年)7月7日に横浜でありました。その履物のお土産を、あのベレー帽スタイルの先生にお見せしたところ ええ靴や、ええ靴や、と懐かしがってとても喜んでいらっしゃいました。 水色のワルツなど伊那で数々作曲されましたが、きっと風光明媚なこの町と親切で穏やかな伊那の人々が先生はお好きだったのでしょうね。

   最後に伊那北女性第1号の宮島まゆみさんを紹介します。今年でちょうど80歳かと思います。 以前NHKの朝の連続ドラマ ‘かりん'の放送があり舞台は諏訪ですが主人公の高校時代のモデルはこの宮島さんです。 現在はろうけつの染色家として小山明子さん、栗原小巻さんなどの着物も手がけていらっしゃいます。 気配りが素晴らしく毎年、関東同窓会にお手製のスカーフやネクタイをご持参され多くの方にプレゼントして喜ばれています。 さて、今回の関東同窓会は伊那秀麗会の皆さまの相当なご尽力のもと大盛会で良き思い出となりました。10年参加している私ですが これほど盛り上がったことはなかったように思います。皆さまありがとうございました。東條関東同窓会会長からも 皆が楽しめる素晴らしい会でしたよ とお褒め頂いております。 野田首相も自民党の石破氏も 昭和32年酉年生まれ。各界でも同世代の活躍が期待されます。  
  地震、台風、人智の及ばぬ自然界の猛威に不安を感じる昨今ですが これからの人生、一期一会を大切に 皆さまらしく どうぞ健康には気をつけて いつの日もお元気でお過ごしください。



 D組  根津 一成 さん

こんにちは  D組の根津 一成です。
城倉君から突然電話で「今月の顔書いて、河西さんに連絡して」とのこと。
その後にボッチからも連絡をもらい、こんな私でよければと思いたわいも無い話をします。

私は大学卒業後プラスチックの専門商社に入り、東京、松本、名古屋、大阪、名古屋と転勤してきました。
会社はベークライト商事→べ商プラスチック→森村商事と会社が売却され社名が変ってきました。
現状は名古屋に小さいながらも家を建て、森村商事竃シ古屋支社に勤めております。

家族は妻と社会人3年目の娘(名古屋勤務)、大学4年生の娘(岐阜に下宿)です。
大学時代間違って体育会水泳部(水球)にはいってしまい、そのまま4年間続けました。
おかげで高校を出たときは53kgだった体重が大学卒業時 65kg、現在 73kgとなってしまいました。
立派な中年オヤジとなり、汗かきながら会社に通っております。

訳あって今は月に2度ほど伊那の実家に来ております。そんなこともあり、最近は伊那北の仲間達ともたまに会う機会が増えました。
今年は秀麗会のゴルフ、城倉君たちのキャンプなどに参加させてもらっております。
また、今年の4月に名古屋に転勤してきた、小林武雄君、松沢郁夫君とも5月酒を飲みました。

最近私がはまっているのが、山伏です。 大阪の西田辺の不動寺というお寺の大峰山奥駈修行に参加しております。これは奈良時代、役小角(えんのおずぬ)が奈良の吉野から和歌山の熊野まで修行した山道(約150km)を1年に1回3泊4日、これを3回(3年)かけて修行するものです。昨年は吉野から前鬼まで、今年は前鬼から上葛川、来年は上葛川から熊野大社まで。

昨年は訳あって途中下山しましたが、今年は3泊4日完歩いたしました。
この修行は修験道であり、修行することにより己の身心を自然と一体化し無生心を感じることです。
ただ、私は難しいことは考えずに、楽しい仲間と自然中でだた無心に歩いたり行場を修行することが好きで参加しております。

この道は世界遺産 熊野古道」の一部です。熊野古道の正式名称は「紀伊山地の霊場と参詣道」と言い、「吉野・大峰」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」とそこに至る「参詣道」のことです。

また、大阪の「本修験講社 慈光」という講にも属しておりまして年に一回、7月に大峰山入峰修行をしております。今年も参加しすでに5年目となり、先達の称号も頂きました。

ちなみに伊那の行者そばの由来は「西暦700年頃、修験道を確立した役小角(えんのおずぬ)が最後の修行の場として、駒ケ岳に登る途中、内の萱の村民の温かいもてなしの礼にと高冷地でも実る蕎麦の種を置いて行った。やがて、数百年を経てこの行者そばは、信州一円に広まり信州そばと呼ばれるようになった。」
これは私が山伏の修行を始めてから知り、なにか因縁を感じてしまった。いずれ内の萱から駒ケ岳の役小角が歩いた道を歩いてみたいと思います。

くだらない話をしましたが、伊那北の仲間と合えることを楽しみにしております。今後も宜しくお願いいたします。



 C組  春日 逸男 さん

お待たせしました!今回、河西がC組の春日逸男さんを突撃ひん剥きインタビューに行って来ました。
インタビューしながら、写真もゲット!伊那市NAKAMIZOの某所です。

Q1.初恋は?
A 小学校の時、ベルマーク委員の副委員長をしてて、その時、委員長をしてた女の子のことが、なんとなく好きでした。 その子、お父さんが亡くなって転校しちゃって、自分が委員長をやることになり、すごく困った事を覚えてます。

Q2.初チューは?初○は?
と、突っ込んだんだけど、1曲歌ったら、聞きそびれました・・・。O┓ペコ

仕切りなおして
Q3.好きな作家は?

A 五木寛之

Q4. 好きな作品は?
A 青春の門
  この映画が忘れらないんです。吉永小百合の衝撃シーン!は忘れられない。
  そうそう映画といえば、高校時代、中劇にまだ見ちゃいけない映画を見に行ってたことが懐かしい。

と、だんだん話はぐだぐだに・・・・

Q5.無人島に一つ持っていくとしたら何持ってく?

A 焼酎。

すごくぐだぐだになってきてしまい・・・

Q6.座右の銘は?

A  の歌詞だけど「若き日は再びあらず」 
  へえ遅いかなと思いつつ、加藤茶に続けーって気持ち。
  40代半ばで軽い脳梗塞をしているので、後悔しない日々をと暮らしてます。

そりゃ、大変だったねぇ・・・とだんだんインタビューの的が絞れなくなり

Q7.好きな食べ物は?
A 嫌いなものなし!
 畑で野菜を作るのが楽しみ。今、トマトときゅうりがおいしい〜

Q8.趣味は?
A 特にないけれども、夜、飲みに行くことかな。十八番は・・・・・・・

えーい!とりあえず飲んで歌うかー!となってしまい(汗) 
日付が変るまで、飲み会ともいう「インタビューみたいなもの」は続いたのでした。




 B組  宮沢 正博 さん

こんにちは。B組バレーボール部所属でした宮沢正博です。
今月の顔を依頼されましたので、現在の近況をご連絡します。宜しくお願いします。
■我が娘
  今年で5歳になる娘です。(孫ではありません!)大体のみんなが既に子育て終了の年齢の中、老体にムチ打って頑張っています。先日25年ぶりにディズニーランドへ行った写真です。娘と妻は大喜び、いろいろな場面で泣いたり、笑ったり、怒ったりと喜怒哀楽があり、日本語、英語、タガログ語、ワカラン語といろんな言語が飛び交う楽しい家庭です。
来年は保育園の保護者会の副会長に依頼され更に忙しくなりますが、我が娘の笑顔や成長を楽しみにしています。



■ 我が家
会社の転勤等で5年前に実家に帰ってきました関係で4年前にやっと家を建てました。
小さい家ですが、3人家族で十分です。特徴は、床暖房とソーラー発電をいれました。冬はこたつ、ストーブがなくてもエアコンのみで非常に暖かく重宝しています。又ソーラー発電は季節によりますが、電気料金が売りと買いでプラス10,000円/月となり節電にも気を遣うようになりました。辰野町荒神山近くです。気楽に遊びに来てください。


■ 我がゴルフ
今年も3月に秀麗会ゴルフツアーが開幕します。非常に楽しみにしています。
  約20名のツアーメンバーで年間10回ハンデキャップ戦で毎回優勝目指して争っています。
  我がゴルフは、昨年は1回も優勝できずメンバーのみんなからは使用クラブに関して講釈
(流石伊那北でうんちく好きが多い)を頂き新アイアンに変えて今年に期待しています。
  運動不足、日頃のストレス解消のため、同年代で共通の話題を話しながら1日ゴルフを楽しめ
  れば最高です。

とりとめのない事を書きましたが、お互い健康に留意し、日々頑張りましょう。



 A組  川井 二郎 さん

こんにちは。A組の川井二郎です。中原君からの電話で、慌てて28秀麗会のHPを覗いたり、河西さんから過去の記事を送ってもらったり…。懐かしい面々の記事をしばし、読んでおりました。

今年の冬は寒いですね。寒くなると、ブラバンに熱中した高校時代、体育館手前で、手に息を吹きかけながら、カンカン叩いていた朝練を思い出します。 その後も、大学オケ、市民オケで太鼓をずっと叩いています。練習後の一杯が楽しみですね。
 
高校時代
市民オケにて
30代の元気の良い頃は、ふだん行けそうもない、ブータン、ネパール、チベット等を訪れました。
どうも高い場所が好きみたいです。 標高3800mを超えるチベットでは、同行者が高山病になったり、戒厳令解除直後で多くの兵士がいたりと迫力がありました。ヒマラヤの荘厳な山々も印象深かったです。

チベット ポタラ宮にて

オランウータンとともに

山は、見飽きることがなく、職場のある熊谷からは浅間山や赤城山、日光男体山、場所によっては富士山が見えます。最近は、鳥インフルエンザの影響で、近寄れなくなりましたが、冬になると、荒川には多くの渡り鳥がやってきました。自然の富かな場所です。

荒川に飛来する渡り鳥
時には海外出張があり、最近は、中東(カタールやアブダビ)に行きました。
熊谷の熱さどころではなく、50℃を超すと、さすがにげんなりします。
時間になると、アザーンと呼ばれる礼拝への呼び掛けが、あちこちのモスクから大音量で流れます。早朝はこれで目が覚めます。今なら、ドーハで開催のサッカー・アジア杯を生で見られたかもしれませんね。
モスクと砂漠の民 (アブダビにて)

帰省は高速バスを利用しますが、八ヶ岳、諏訪湖を過ぎ、辰野から伊那谷に入ってくると、何とも言えない嬉しい気持ちになります。昨年のお盆には、久保田君からゴルフコンペの打ち上げに誘ってもらい、服部さんや藤沢君など、皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。40周年にも元気で参加したいと思います。



 F組  合戸 良和 さん

新年あけましておめでとうございます。
F組の合戸です。

新しい年のスタートの今月の顔に僕がふさわしいか自問してみましたが
答えは改めて書くまでもないでしょう (^^;

さて仕事納めの28日、名古屋方面の出張から会社へ戻りPCをあけメールをチェック。
すると沖山から
“1月の今月の顔をやってくれー”という連絡が・・・
“1月ってあと3日しかないじゃん。他を当たって”と返信しましたが。
30日の飲み会でねじふせられました。(飲み会は楽しかった)

それで今回は、なつかしの音源を披露しようかと思います。
これは以前帰省した際来々軒で同級生の日岐と肉野菜炒めをつまみに飲んでいた時の事。
日岐「昔のテープが出てきたから聞くか ?」
合戸「 えーー昔のテープがあるの !」
はたして昔のテープとは ???

高校時代、健と桜井そして1年後輩の小林と4人で自作の歌を持ち寄り録音していた物(^^;
僕の手元には既に無く30数年ぶりにその音源を聞いてみた。
けっこう感動しました。
音やリズムは外れ いろんなところで間違っているけど 何かとっても新鮮。
恥ずかしいけどもう時効でしょう。35年前の僕らの演奏を聴いてみてね♪

ワン・モア・コカ・コーラ
F組の美少女軍団 ダブルミチコ かおりちゃん ユー子さんへ捧げた曲。
17歳の頃って純粋だなーって思います。
この時は4人以外に誠とミキシングで仙丈がサポートで参加しています。

ぼんぼやあじゅ -宿平バージョン-
作詞は桜井と健(宿平バージョンは僕と小林が少し手伝ったみたい)
作曲は桜井と健。僕らのテーマソング。
ネタバレになりますが最後のフレーズを4人で同時に歌うのですが、
まったく合っていない。というより合わせる気がない^^
そこがすごく気に入ってます。
サポートメンバーは日岐 誠 直ちゃ 仙丈です。

暗い場所では本が読めなくなり、重い物を持つとすぐ腰が痛くなり
何も無いところで足が引っかかり、ついには血圧計が我が家へやって来た。。。
リタイヤしたら何をすればいいのか漠然と悩む。
17歳のピュアな頃には想像も出来なかった事。

30数年ぶりに聞いた若い頃の僕らの歌声。
そして2010年3月 Zepp Tokyoでのボブ・ディランのコンサート。
それが契機になり久々に曲を書き始めた。
半年以上立つがまだ完成しない。これもまた若い頃には無かった事。
そのうち完成してみんなに聞いてもらえるといいな☆
ではそれまで ぼんぼやあじゅ //



 E組  城倉 直幸 さん

E組の城倉です よろしくお願いします

平成5年から日記を書いています。10年日記です。
中学の生活記録帳もろくに書けなかった自分ですが、この日記はなぜが毎日書いていて現在2冊目。今月で18年目が終わろうとしています。
その日の出来事 家族のこと 世間のこと 季節のことなど 気がついたことをとりとめもなく書いています。
4年前からは秀麗会のことを書くことも多くなりました。
大笑いしたこと なるほどと感心したこと しみじみと考えさせてもらったこと などなど。読み返す毎に懐かしかったり、おかしかったり、再確認したりしています。
この日記はいまや記憶力が著しく低下した53歳おやじの海馬の代りをしてくれています。
今年は一年かけてこの日記の中の子供に関する記述を抜粋しています。子供のことを一冊の日記にまとめようと思っているのです。そのため毎日18年分の日記を読み返しているんですが、4年前に面白いことが書いてありましたのでそれを書かせてください。
こんなことがありました。

平成18年5月22日(月)晴れ
とてもいい天気だ。渓吾は大芝へ遠足に行った。夜仕事を終えて家に帰ると かみさんが「今日渓吾が大芝の小川にハンカチを流しちゃったんだって。きっと池に流れ込むとこのアミにひっかかってると思うんだよね。みっともないから拾ってきてくんない。あさって二人とも学校休みだし」
「ふーん わかった。 みっともないじゃなくて もったいないだな」
「なんか言った?」 「いやなんでもねえ」

平成18年5月24日(水)晴れ
ぽかぽかのとても良い天気だ。梓織と渓吾が学校が休みなので一緒に大芝へ行った。駐車場に車を止め、プラプラ歩いて 花を見たりアヒルに餌をやったりして丘をあがり、林の中の道を‘だるまさんが転んだ'をしながら通り抜けて小川に着いた。
「渓吾 ここか?」 「うん あっち」渓吾は走って上流へ行った。
「とうちゃんは池の方見てくるから」と歩きかけた時。「あっあっあっあっあっ・・・」と渓吾が小川を指差して走ってくる。
「ん?」と見ると小川の中を一枚のハンカチがプカプカと流れてくる。
「え?」と慌てて腰をかがめ、手を延ばして流れてきたハンカチをひょいと拾い上げた。
広げてみたらポケモンのハンカチで、じょうくらけいご と書かれていた。
3人で顔を見合わせて 「え〜〜〜〜〜!!!」
まるで渓吾が拾いに来るのを待っていて流れ出したかのようだった。
石の上に広げて乾かし、しばらくアスレチックで遊んで、また林の中の道を‘だるまさんが転んだ'をしながら帰った。
帰りにじいちゃんばあちゃんの家に寄り、その話しをしてみんなで大笑いだった。

注  梓織(しおり、長女9才) 渓吾(けいご、長男6才)
   日記はもっと簡潔に書いてありますが、肉付けをして当日を再現しました。
   我が家ではこのハンカチを「奇跡のハンカチ」と呼んでいます。



 D組  田中 博志 さん

こんにちは
D組の田中博志です
  先日はっとりさんから依頼があり、「今月の顔」をお引き受けしました。
  28秀麗会のホームページはたまに拝見し、元気をもらっています。D組代表でがんばってくれている内藤さん。投稿できなくてすみません。これでちょっと許してください。また、「写真部」などの美しい信州の写真は常に職場の私のパソコンのデスクトップを飾っており、職場の人達にも好評です。ありがとうございます。 

 ブラバンだけがすべてだった高校時代ですが、恥ずかしいほど未熟で、しかし一生懸命だったあの頃の経験と、ふるさとのやさしさが今でも支えです。
  信州から、甲子園のある西宮市の大学に進学し、そのまま大阪で中学校の教師となり今日に至っています。年頃の娘と小学生の息子と妻の4人家族です。年老いた両親は健在ですが辰野に残したままです。学校では社会科を教えてはいますが、運動系の部活動の指導をめいっぱいしています。そのせいで土日に家にいることはほとんどなく、家族には迷惑をかけています。
同じブラバン出身の小笠原君のような「ジャズレコード鑑賞」とか、近子さんの「写真」とか、藤沢君の「ダンス」とか、はっとりさんの「生涯ぶっきらぼう」(笑)といったいい感じの趣味も持てず、あえていえば中原隆弘君の「焼酎」が一番近いかなという感じです。毎週末は同僚や教え子たちとの飲み会で「しゃべくり」に磨きをかけています。吉本文化が染みついた大阪の中学生を授業で惹きつけるとなると、「しゃべくり」の力がなければ勝負になりません。わりと目立たなくまじめだった(?)私なのに、いつの間にかテンポが速く自己主張の強い「大阪弁」、聞いてもらってあげくに笑ってもらわないとしゃべった気がしない「ノリ」、が身についてしまいました。
  あとは、音楽が相変わらず好きなので、たまにコンサートに行けるのが都会ならではの便利さと思います。最近よかったのは「ビギン」と「中孝介」。生涯で一番感動したのは「さだまさし」のバックの詫間さんが曲の合間に演奏するマリンバ。ものすごいです。

 ただの近況報告になりましたが、遠く大阪にも仲間がいて、元気でいることをお伝えできればと思いました。大阪に来られる折には、是非ご連絡ください。
ホンマに旨いお好み焼きに連れてったげて、大阪の「しゃべくり」を堪能させまっせ!



 C組  萩原 浩一 さん

美女ヶ森(びじょうがもり)のお祭りで酔っ払っている真っ最中に、河西女史より「来月たのむで」との電話があったような。「おう」と言ったような気がして、翌々日に職場のメールを確認すると依頼のメールが着信済。50を過ぎての大酒は、夢と現実が織り交ざった記憶を創生するが、そのほとんどは、3日ほどで消去される運命にある。気がついたら9月末日で、「何か書かねえと」となる。
  「美女ヶ森」「女体入口(にょたいいりぐち)」など駒ヶ根には艶かしい地名があります。
「美女ヶ森」は、赤穂高校の北東にある森で、大御食神社(おおみけじんじゃ)という神社があります。祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、五郎姫(イツイラツヒメ)、誉田別命(ホンダワケノミコト)の三神で、五郎姫が祭られているので美女ヶ森といわれるようになったそうです。駒ヶ根には美女が多いからとの説もありますが、身近な人で検証してみてください。自ずとこの説の真偽が決定されると思います。
  次に「女体入口」。昔の多感な男子中学生は、この名称を聞いただけで爆発したものです。
中央道駒ヶ根インターの南側一帯の地名が「女体」です。駒ヶ根市の行政区(市内の地区を表示するもの)にも、「北割二区 女体」という名称が堂々と使われています。諸説ありますが、「昔、尼寺があったから」というのが通説となっています。「女体」に「入口」をくっつけたのは、伊那バスのバス停の名称を考えた人ではないかと私は思っています。バス停を降りると「女体」集落の中心に通じる道路があったので、「女体集落に行く人はここで降りなさい。」というメッセージが「女体入口」には込められています。ただ、F組のM氏によると、この女体地区から中央アルプス千畳敷カールの方面を望んで、宝剣岳が鼻、伊那前岳が左膝、島田娘の頭が右膝と見立てると、女性が仰向けでM字開脚をしているように見えるとのこと。神聖なる山岳を前にして大変不謹慎な発言でありますが、そう思ってみると千畳敷カールのロープウェイ駅の下の中御所谷あたりが女性のミステリーゾーンに見えてしまうのであります。
  お口直しに、中川村桑原(私の出身地)の今年の松茸をどうぞ。新鮮です。



 B組  原 茂雄さん

水星人(−)の私は、3年続いた大殺界も今年が最後(減退)でしたが、6月初、腰の痛みが再発した時、ついにまた来たかと恐怖に駆られました。陰影の2年前には左側L4の椎間板ヘルニアと診断され、1週間トイレにも歩けない状態でダウン、この時はおとなしくしてたので1ヶ月でコンペに復帰出来ました。今回は右側L4を同様にやられたのですが、前のように簡単には治らず、3ヶ月たった今でも少し痺れが残っています。
今回はこのHPの広告にも出てます“みすず接骨院”で渡邊院長にレインボー治療をしてもらいました。院長いわく「しげさー、毎日来んと直らんぞ!」言い付けをなかなか守れない私でしたが何回か通った効果もあり8月のクラス対抗へはなんとか出場することができました。そしていつもの通り冷酷無比の義雄くんと和男くんへオニギリをあげる羽目になった訳です。
腰痛で悩んでいる方も多いと思いますが、特効薬はなさそうです。痛かった時の苦しみを忘れずに身体を鍛え予防に専念しましょう。私もこれからは腰を鍛えるためにゴルフを続けたいと思います。

以下は蛇足ですが、コンペ打上げ時に“HPに絶対書いてやる!”と公言した愚痴になります。

「ドラコン」とは、ゴルフでティーショットの飛距離を競う競技。最も遠くへ飛ばした人が勝者となる。フェアウエーに止まったボールだけが成功となり、OBやラフに入ったボールは失敗となる。とある。6番ホール義雄くんはセンター、私は左ラフに近いフェアウエー。横から見ると全く同じ位置。大槻先輩がピンまでを測定してくれて2ヤード私のほうが遠いという裁定だった。ということはティからの距離もピタゴラスの定理で私のほうが飛んだはずだが。

★★写真はやっぱり「我が家のアイドル」!★★



 A組  青木 正さん

今月の顔??
  突然、河西から電話で頼まれた。「秀麗会HPで・・・」
自己紹介的なことあまりしたくないし、知りたい人もいないと思うけど・・・
  人生いろいろで、今は一人暮らし。時々孤独感に陥ることもあるあるが、けっこう自由を楽しんでます。時間(金は余り無いが)を持て余し、休日は、ゴルフ。練習するが、すればするほど、うまく行かず落ち込んでます。
(今年のスコアは、ほんと 最悪!)
それでも終わった後は、心地よい疲労感がいいですね。
  秀麗会ができてから毎月のコンペで、昔の顔なじみに会っていると、若かりし頃の気分になれるし。
  平日は、ここ1年以上、仕事の後まっすぐ家に帰っている。
体力不足を感じるかな。昔は、21時前に帰ったことが無かったが・・・
帰ってまずご飯の用意。テレビ番組は、ほとんど見ない。配信ビデオで、映画や子供の頃見た懐かしいアニメを見ながら、なんとなく過ごす。
  これが、毎日のパターンかな。たまにラジコン・ヘリで遊ぶ。こどもだね〜と思わないでくれ! ヘリが空を自由自在にゆっくりと動く姿は、格好いい。オタクにまでなり切れないのが、情けない!
  とりとめ無い話となってしまったので、こんなところで終わり。

PS しばらく遠ざかっていましたが、これからはHPも、たまには見るようにします。皆さんもからだに気をつけて!(まだ20年はゴルフしたい。)



 F組  藤沢 剛さん

F組の藤沢 剛 ( たけし ) です。

去年の忘年会で渡辺からご指名を受け、7月の顔に登場することになりました。よろしくお願いします。

偶然ですが、先月の礼子さんと同じく伊那の「ぶぁんてあん」に通ってダンスを練習しています。キューバのサルサです。前からずっとやりたいと思っていたのですが、なかなかチャンスがなくてできませんでした。それが箕輪に住んでいるキューバ人のヨシベルがレッスンをやるということを知り、去年の4月からサルサを始めました。

サルサとの出会いは9年前です。TVでキューバやサルサを取り上げているのを何度か見ていて行ってみたくなり、 2001年の夏にキューバ旅行に出かけました。向こうに行って一番面白かったのは人間です。道を歩いているとすぐに声をかけてきて、いろいろ話をしたり、あちこち案内をしてもらったり。中には金持ちの日本人にたかろうとする人もいましたが、退屈することなく楽しく過ごすことができました。

彼らと一緒にいると、音楽を聞いたり踊る機会がたくさんありました。踊り方を教えてもらったけど、なかなか思うようにいきません。彼らのように身体をなめらかに使って、楽しく踊りたい。ずっとそう思っていたのが、ようやく去年実現しました。まだ講師のヨシベルからは「もっとリラックス」「音楽をよく聞いて」など注意されるのですが、一緒に踊る仲間ができて楽しくやっています。

最後に、今の職場は来年の3月に閉校する上農定時制です。生徒が16人、職員が5人という学校で働いています。ここの校舎は古い木造で、自分の小学校時代を思い出すような懐かしさがあり、時間が止まったような別空間です。いつまで残されるか分かりませんが、関心のある方は一度おいでになってはいかがでしょうか。お待ちしています。



 E組  木村礼子さん

礼子さんのフラメンコ E組の木村(宮下) 礼子です。
 今月の顔に登場させてもらいました。
写真は何がいいかと、河西さんと相談しましたが、やっぱりフラメンコかなという事で、発表会の写真です。今まで、3回発表会をしましたが、今年3月の写真はまだ手元になく、前回一昨年のものです。
 この写真は、帽子を使って踊る「ガロティン」という曲です。
フラメンコはギターと唄に合わせて踊るもので、後ろのおじさんは、カンテといって唄う人です。その唄は、まるで酔っ払いのようですが、フラメンコはスペインの民謡なので、日本の民謡と似ているところもあります。
 唄は似ていますが、リズムはかなり違っていて、4拍子の曲もありますが、12拍子の曲が多く、日本人の私にはとても難しいです。そのせいか、クラスの平均年齢が高いせいか、1年に1曲くらいのペースです。
喬木りえ先生(喬木村出身です)の踊りは素晴らしく、いつも、私たちの踊りは「フラメンコ」の「フ」にもなっていないね、とみんなで話しながらも、伊那のバンテアンでレッスンがんばっています。
 フラメンコの話はこれくらいにして、先日、E組で「大芝」じゃなくて「ながた」でバーベキューをしました。東京方面からも、わきさん、はっとりさん、かとうさんなどが参加してくれて、薪の火を見ながら歌ったり、飲んだり、本当に楽しかったです。こんな事ができるのも、秀麗会のホームページがあり、皆がつながっているからだと思います。毎日は読めないし、なかなか書き込めない私ですが、このホームページはとても大事に思っているし、楽しみにしています。
 そして、行事のある時はなるべく参加したいので、声をかけてくださーい。



 D組  太田章さん

太田さん(左)&小野さん(右)(撮影/永沼さん:C組)
 ずいぶんと初夏の陽気になってきたので、愛用のマスクも夏用に替えました。涼しげな白を基調とした科学素材です。天然素材にしたいのですが、絹は高いので…。
 小野と一緒に出歩くことが多いのですが、いちばん困るのは、銀行に入った時です。すぐに警備員が寄ってきて身元をしつこく訊かれます。あぁいうお堅いところは、ファッションに理解が浅く、柔軟性がありません。その点、道で擦れ違う幼稚園児などは、どうやって、お目目を開けたの…と尋ねてきたりして研究熱心です。そばにいる母親が邪魔で、××ちゃん、そっちを見ちゃダメ…と子供の手を引き、急ぎ足で通り過ぎます。 


 C組  福崎 澄さん

四月になりました。新年度スタートですね。
新しい環境、新しい仕事、新しい出会い・・・・・。
色々としんどかった事も思い切ってリセットして、また元気に頑張っていきましょう!

今月の顔を仰せつかりました、C組の福崎(宮澤)すみです。
しばらく秀麗会の掲示板をご無沙汰していたので、ちょっとビクビクですが、
よろしくお願いしまーす。

浦和の地に暮らすようになって今年で22年です。
故郷の伊那にいた時間よりも長くなってしまいました。
いつの間にか大学生になってしまった二人の息子が小さい頃、
よくレンゲを摘んだ田んぼも、ザリガニを釣って遊んだ用水路も今は無いのですが
人工的に自然ぽく(?)護岸工事をした近所の「笹目川」には、時にはカワセミも姿を見せたりします。
写真はその笹目川の土手の桜です。
チラホラ咲き始めたところです。伊那の桜もつぼみがふくらんできているのかな?
いいことがたくさんある春になるといいですね。



 B組  飯島 裕一郎さん

B組 飯島裕一郎です。
今月の人ということで緑さんから電話 HPではお初です。
30周年から3年、時の流れるのは早いものです。
50を過ぎたおっさんは加齢の宿命、体のあちこちが思うように動かず髪の毛は細く、本数も少なくなり目もよく見えず(老眼)、小4の娘や嫁さんかはらくさいよ…ファブリーズときつい一言をいわれ日々過ごしております。何を書いてよいやら思い浮かばず身近な出来事を

☆ 最近行った店
2月の中頃地元常会の会合の後、先輩がコーヒーでも飲みに行こうと、通り町の灯(ともしび)(ベーカリー月日夜の近くです)へ行きました。店に入るなり何か様子が違うような。カウンターを見ると洋酒のボトルが並びジャズが流れています。灯といえばコーヒー、トースト、パフェの店だよな。聞くと灯のおばさん去年の暮れに店をたたんだとのこと。それでコーヒーから酒となったわけです。久しぶりに飲んだウイスキーはとてもうまかったなー。店はKANOYAといい去年まで駒ケ根でやっていたとのこと。
JAZZ LIVEも4月にあるようです。一度でかけてみてはいかがでしょうか。

☆ 最近旨いなと思ったもの
  トーフドーナツ  宮田村 マスダ
まるいコロッとした一口サイズのドーナツです。misdoのドーナツもいいけれど素朴な味わいで中年むけかな。また豆腐もおいしいですよ是非ご賞味あれ。

☆ これから行ってみよう催し
  県立信濃美術館で4月10日〜5月31日まで開催の「吉村作治の新発見!エジプト展」
20年くらい前になにげなく見にいった南米ペルー シカン展(シカン文明)数々の装飾品、独特の埋葬方法など古代文明たいしたもんだと感動しました。3年前には家族で国立科学博物館「ミイラと古代エジプト展」を見ました。子供たちも目を輝かせてすごいねーと連発、そんなわけで今回の展楽しみにしています。

それではまた

写真は今日(2/28)行った長野「大門ぱてぃお」と愛兎MOCOです。



 A組  池上 秀裕さん

 A組の池上秀裕です。
 先日ほろ酔い加減のところへA組のダブルみどりさんより「今月の顔」への投稿依頼の電話があり、断わる術がありませんでした.
 父親の転勤で小さい頃より転校を繰り返した私は、入学から卒業まで同じ学校で過ごしたのは伊那北高校と大学だけです。そのため伊那北に対しては特別な思い入れがあります。絶対水分補給をしないバスケの部活、めったに女子に会わないペン祭のフォークダンス、豆を作り必死に走った競歩大会などなど。最高の高校生活でした。

 みんなも同じだろうが、最近大学卒業25周年、30周年秀麗会、勤続30年、結婚30周年と毎年の様に記念の年が続きます。漸く余裕が出てきた証でしょうか?
 会社に入り仕事に没頭し、あっという間に時が流れた気がします。1985年〜2000年のおよそ15年間の世の中の動向がまったく記憶にありません。流行った音楽やTVドラマなど、将に空白の15年です。

  これを反省し、最近は再度色々な事に挑戦しています。先ずはジョギングを始め、市のマラソン大会に参加しています。3年連続で記録を更新しています。 また、先日は社内の職場対抗のバスケットボールに参加し、出場2分で肉離れ⇒退場と恥ずかしい思いもしましたが、職場の若者との交流を深めています。 飲み会は平均2回/週のペースで参加し、これも空白の15年を挽回すべく、多くの人との交流を深めています。
 昨日も東京にて大学時代のクラブの同期会があり、最終新幹線に乗ったところまでは良かったのですが、例によって乗り過ごし隣の駅より白タクで帰ってきました。


 昨年より写真の家族が増えました。名前は「みんと」オス猫で現在7ヶ月です。早朝出社時および夜遅い帰宅時にも必ず迎えに出てくれるとても可愛い奴です。

 色々とりとめの無い事を書きましたが、最後に伊那北メンバーの素晴しい写真にはいつも感銘を受けております。同業の仕事で飯を食っている私にとっては、本当に嬉しい限りです。どうぞこれからも感動を与える写真の投稿をお願いします。
 Wみどりさん、こんなところで宜しいでしょうか?
 では、皆さん秀麗会40周年を楽しみにしております。



 F組  日岐 敏明さん

 F組の日岐です。新年おめでとうございます。あらためて自己紹介をしなくてはならないほど、長い年月が流れたんですね。

 せっかく、このような機会を与えていただきましたので、自己紹介をします。実は僕、子どもの頃から天体観測を続けていて、もう40年が過ぎました。でもこのことは、高校時代の仲間には封印し、語ることを控えてきました。あのギター部に在籍していた当時、このことを話してしまったら、僕のイメージダウンになるのではと心配したからです。天体観測では女の子にモテない。でもギターならモテると考えました。(「それって逆じゃない?」と、今は思うけど。)
リング消失前の土星今シーズンの木星 さて、長年、火星の気象を研究してきましたが、二年ほど前から肩の力をぬいて天体写真を始めました。この写真は、昨年撮影した土星と木星です。

 今では、天体観測する自分も、音楽する自分も、教師である自分も、全てがつながり、うまくバランスがとれているつもりです。「あの日岐君が、こんな真面目なこと書くの?」と言われそうですが、もともと僕は非常に真面目なのであります。(それにネット上で過激なことは書けません。)

 二人の子どもは成人し、それぞれの道を歩み始めました。僕は再び独身男性になり、心と体のギャップ(第3次成長期:人はそれを更年期とも言う。)に悩みながらも、まずまず充実した日々を過ごしています。

 今回、二人の女の子が「ひん剥き隊」として質問してくださるみたいです。感激です。僕も皮の剥けた男になりたいので、是非よろしくお願いします。



 E組  斉藤 邦彦さん

 皆さん、お久しぶりです。

 今月はEクラスの担当ということで、斉藤 邦彦が担当させてもらいます。30周年の祭典には参加できず、皆さん大変ご無沙汰しています。

現在、大学でソフトウェア科学の研究や教育を行っています。仕事の話はあまり面白くないので、スウェーデンに出張したときの話を取り上げてみたいと思います。今、北欧は暗く寒い季節。日中、晴れていても太陽が地平線上から少し顔を出すだけですが、街は感謝祭から、クリスマスや新年に向けて華やかにライトアップされます(写真は借りたアパートの窓からの眺め。11月です)。

 2004年の11月より、スウェーデン中部のウプサラで一年間過ごしました。ウプサラは歴史のある学園都市で、ストックホルムから電車で40分ほど北に位置しています。人口18万、ストックホルムのベッドタウンでもあります。こじんまりとした街であり、北欧最古の大学であるウプサラ大学ととともに発展してきました。町の中心にランドマークとなるプサラ大聖堂があります(写真左)。
 ウプサラ大学は1477年創設、神学、政治学、法学、医学、文学といった古典的な学部に加え、バイオ、コンピュータ、地震研究所といった施設があります。また平和と紛争(解決)学部といった北欧ならではの学部もあります。観光名所であるリンネ博物館、植物園、ウプサラ城もウプサラ大学の併設施設であります。植物学者のリンネ、単位系に名を用いられるオングストローム(Å)親子や、温度の摂氏の語源となったセルシウスがよく知られるウプサラ大学出身者です。

 ウプサラ大学の特徴のひとつに学生組織Nation(ネーション)があります。ストックホルム・ネーションやゴットランド・ネーションなど出身地域ごとに13のNationがあり、それぞれ独自の建物やパブ、レストラン、ホールを運営しています。Nationが発行したカードが学生証となり、授業やテストなどで提示する必要があります。ビールが安い(1ジョッキ約250円、普通のバーでは約800円)ので、僕も良くネーションのパブに 通いました。

 ウプサラ編は以上ですが、時間的余裕があれば12月中に続編をアップしたいと思います。皆さんも北ヨーロッパに旅行する機会があれば、ぜひウプサラを訪れてみてください。


 D組  小笠原 俊彦さん

 D組 の小笠原です。10月11日A組丸山近子さん企画の「きのこの会」がきっかけでここへ登場させて頂くこととなりました。よろしくお願い致します。

 10月11日池田町大峰高原での「きのこの会」、きのこ狩りは小学校以来の経験でした。
私の出身は東春近ですので山も近く、子供のころはよく山に入り遊んだもので本当に懐かしく、山のいい匂いに体も癒されるという感じでした。
アウトドアでのきのこ汁も格別でした。夜は大町の温泉につかり、珍しい岩魚酒をご馳走になりながら皆さん共通の趣味である写真の話や昔話に花が咲きました。
33年経って多少外見は変わったものの気持ちは皆若く変わらないことを改めて感じ元気づけられました。
同窓の仲間はありがたいですね〜!企画された近子さんをはじめ、ご一緒いただいた中原さん、はっとりさん、加藤さん、池上さん、蟹沢さん、内藤さん、渡辺さん、原さん、お世話になりました。
改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、折角ですので少し私のことを紹介させて頂きます。
 私はアナログレコードの温かい音が好きで今も相変わらず聴いています。
中学の時にレコードを聴き始めたのですが、当時はキャンディーズ、沢田研二、ベンチャーズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、といった感じでした。
その後高校に入って1年A組の時、クラスの合戸さんに聴かせてもらったジョン・コルトレーンの「バラード」がきっかけでJazzの即興演奏に興味を持つようになりました。
ブラバンでトロンボーンを始めたこともありJazzトロンボーンにはとりわけ興味を持ち、そのプロのテクニック(例えばJJ・ジョンソン)には大変驚かされました。大学時代から就職後もトロンボーンはもとよりサキソフォーン、トランペットといった管楽器奏者の入るコンボ演奏をレコードで聴きあさりましたが、その中でだんだん嗜好も変化し現在ではピアノトリオ(ピアノ、ベース、ドラムス)に辿り着きました。
写真はスリリングでスピード感があり、いつ聴いてもわくわくする演奏、かつジャケットも洒落ている特に好きなアルバム4枚を並べてみました。(現在でも中古を含めアナログレコードは結構流通していますよ!)
おたくの戯言で大変失礼しました。



 C組  加藤 和幸さん

愛知県西浦半島の日の出C組の加藤です。
  1年の時もC組だったから、ずっとC組ってことです。
  秀麗会は、ゴルフ部でお世話になっています。

 同窓生とのラウンドは、それはそれは楽しいものです。
  高校時代ほとんでしゃべったことがなかった奴らもいたはずなのに、
  今では、みーんなゴルフ仲間。嬉しい限りです。

 ゴルフ部の連中は、みーんな事務局をしてくれている和男に感謝してますよ!
  あ・り・が・と・う。

 さて、写真はうちの猫ちゃん。美形でしょ!


 B組  木下 信一さん

愛知県西浦半島の日の出B組の 木下 信一です!
掲示板にはご無沙汰しておりますが、元気でやっております〜。

さて・・・  あっ、まず写真ですが、同窓会の年の5月に生まれた 次女も3歳になりました。苺央梛(いおな)と申します。上の娘とは10歳違うので、また改めて子育てをしているようで、大変ですが、まぁその分楽しませてもらっています。
  段々と言葉も増え、人格もできてきているようで、驚かされたり振り回されたりと、10年前と比べて再確認がおもしろいです。
最近、やっとトイレでできるようになり(もちろんまだ、オムツですが・・・。オムツも10年前と比べるとだいぶ進化していて・・・)
などと、バカなオヤジはキリがないのでこれくらいにしておきます(笑)

  近況ですが、相変わらずサッカーと浮き玉▲ベースをやっています。
サッカーは教えるばかりになってきましたが、箕輪の少年、中学、上伊那のU14のトレセンと気がつけば、週に4日も関わっています。いつまでやるのかと自分でも呆れているけど、続けるんでしょう(他人事か〜!)

▲ベースは今年で10周年です! 椎名さんもまだまだ元気でがんばっています。10周年と云う事で今年の全国大会はでかくやります。10月24、25日に東京で行うのですが、全国70チーム、1000人の中で、
半分くらいは集まる勢いです。去年の暮に中部リーグを立ち上げ、その支部長を任されました。その折に椎名さんには40周年にも来てもらうよう、頼んでおきました。

9月は秀麗会のオヤジキャンプの月です。 フナムシ隊(フシブシ隊?)で伊豆の海で楽しんで来ます。今年は7人参加でへらへら、だらだらと臭隷してきま〜す。その報告はまた後日ということで!

  最後に有賀先生、
しょうもないヤツばっかりのB組でしたが、ありがとうございました。
これからも見守っていて下さい。
僕たちは貴方のクラスで本当に幸せでした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



 A組  北原 秀穂さん

愛知県西浦半島の日の出A組のかえるです。
秀麗会「ゴルフ」ばかりでなく、秀麗会「ホームページ」にも顔を出せとのお上からのお達しにより「今月の顔」に登場させていただきました。

最近はまっていることについて一言。

好きな事と言えばゴルフ、エアロビ、旅行、ショッピングなどですが、
最近、心地よいことは出張先や旅先で少々早起きしての「出張先(旅先)ジョッギング」。

ホテル周辺をカメラ片手にJogするもの。同じA組の宮下義雄や池上秀裕のような東京マラソン、長野マラソンなどレースに出るためのランニングでなく、旧所名跡や観光地をカメラ片手に早朝早足で物見遊山するものです。
都内中心部の地理を実感したり、街や坂など地名の由来や歴史に再発見があります。
最近印象に残っているのが、御茶ノ水のホテルから、東大赤門・安田講堂・三四郎池、不忍池、湯島天神、神田明神、湯島聖堂コース。不忍池池端は早朝から散歩・ジョガーがいっぱいです。

エピソード
  @だいたい暴飲した翌朝なので、走っている途中でトイレに行きたくなり往生する。お茶大、護国寺、雑司が谷墓地コースの時は、帰着間際に爆発寸前で走ることもできず、モジモジしながら早足で 目白台のホテルに戻った。
   (草なぎ君が裸になっていた赤坂ミッドタウンの檜町公園のトイレはペーパー完備で助かった)
  A六本木ミッドタウンから乃木神社、赤坂サカスを走った時、午前6時の六本木交差点は若者の朝帰りピーク。ジョギング姿が酔っ払いの若者と妙にミスマッチで存在を消したい一時だった。
  Bソウルの中心街(市庁-景福宮-仁寺洞)を走っていた時、地下鉄口から出てきた女の子に道を聞かれた。
   日本語で「わかりません。」と答えた。俺はコリアン系の顔つきなのだろうか?
  Cホテルのカギ紛失事件。飯田の街中から森林公園を走っている途中で部屋のカギを落とし見つからなかった。
   4千円也で許してもらった。



 F組  春日 優子さん

みなさまこんにちは!
F組の春日優子です。よろしくお願い致します。

「今月の顔」お引き受けした日、くしくも伊那北高校の新しい同窓会名簿が届きました。
再度懐かしく思い出しながら見入ってしまいました。

秀麗会のあの30周年記念行事から、もうすぐ3年になりますね。
この会のおかげで、あれからずっとみなさまに励まされて、見守られて、元気付けられて、楽しく過ごすことができているように、日々感じております。
ありがとうございます。

さて、みなさまは高校時代、どんなクラブ、部活に所属されていましたでしょうか。

実は私は落語が大好きです。祖父の影響か、小さい頃から落語が耳に入っておりました。
おかげさまで、本職のクラシカルミュージックの資料より、だんぜん落語の資料の方が多いです。

実は、伊那北高校に入学し1年生の時、落研に入部したのでした。
最初に習うのは「寿限無」でした。一生懸命「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末〜〜〜」と言う名前を練習し覚えたものです。
しかし、名前を覚えたところで・・・
「落語はやっぱり自分にとっては、やるモノではなく、聴くモノだな。」と悟り(?)一ヶ月で退部。
(その後は数学研究部の幽霊部員だったような・・・コーラス部のお手伝いもしてましたね。)
以後、演ずることはなくひたすら鑑賞のみです。
(それでもあの時覚えた寿限無の名前はいまだにすらすら言えます!若い時に覚えると言うことはいかに大事か・・・改めて感じ入ったりして・・・)
と言うわけで、今では落語家さんとも交流のある妙な(?)人生を送っております。

落語はさておき、文楽・歌舞伎にしろ、能・狂言にしろ、日本には立派な伝統文化があることは誇らしいですね。

とりとめもなく書き連ねてしまいましたが、みなさまとまた楽しくに再会できる日を励みに、元気に参りましょう!
みなさまも健康に気をつけてお過ごしくださいね!



 E組  久保田 肇さん

皆さんこんにちは。
E組の久保田 肇です。1カ月宜しくお願いいたします。

先週、大腸の検査を受けましました。
胃の方はスペシャリストなのですが、こちらは初体験でした。
40周年では元気で再会できるよう、お互い健康には留意しましょうね。

さて、高校時代に夢中だったのは部活のラグビーと『ROCK』です。
今回は(一部の?)皆さんに共通の話題で、『ROCK』を取りあげました。
当時よく聴いていた、自分にとっての懐かしいアルバムです。

個人的なBest3はというと・・・・・
No.1 SANTANA `CARAVANSERAI'
No.2 FREE `FREE LIVE'
No.3 DEEP PURPLE `LIVE IN JAPAN'

今回選んだアルバムはどれもその内容はすばらしいのですが、この3枚には、+αでそれぞれに「高校時代の」特別な思い出があるからです。
『ROCK』に限らず、当時夢中で聴いていた曲を耳にすると、 その時の自分を振り返ることができますよね。

『ROCK』ファンのあなた!  懐かしいのはありますか?

※自分が持っていたのは15年程前後輩にすべて譲ってしまったので(今思えば惜しいことをした)、今回は師匠である姉貴の所から借りてきました。
ジャケットを手にしているうちに無性に聴きたくなり、
No.1 & No.2はCDを買ってしまった。・・・・・『!!!!です』




 D組  岩附 稔さん

D組、岩附稔です。
写真は大学時代の頃・・・・ずいぶん時間が経ったものです
(^笑^;)
あの同窓会のおかげで、今まで会えなかった友達とも会う事ができて、楽しい機会が増えました。会えば懐かしい話もたくさんだし、高校時代に聴いた音楽で盛り上がれるのは楽しいもんです。あの頃仲間と聴いた音楽は今でも歌えるし、物忘れがひどくなった今でもギターを持てば指が勝手に動くから不思議なもんです。きっと死ぬまで頭や体の中を流れるんでしょうな(笑)もう長い間何千という曲を書いてるけれど、評価されるのはその中のほんの数曲ですから、高校時代に聴いた曲は僕らが思春期だったからという以上に楽曲がそうとう素晴らしいものだったと思います。そういう心や体に残る音楽を作るのが僕の目標であり夢なんですが、残された時間もちょっと少なくなって来たのかも(爆)
三年前に出したCD「風の彩(いろ)」以来、まだ新しいCDはリリースしてませんが、もしも近くでプロレスラーではなく作曲家天山の名前を見る事があれば、コンサートにはぜひ遊びに来てちょうだい、楽しみましょう。(⌒∀⌒)V

天山ミュージックワールド↓
http://park1.wakwak.com/~tenzan/index.html
風の彩↓
http://park1.wakwak.com/~tenzan/sityou/kazeiro-mp.html



 C組  北沢 ちえみさん

四月になりました。
今月の顔は、C組、肝っ玉かあさんになりたかった北澤(旧姓西村)ちえみです。
おかげさまで、体型だけはかなり近づくことができました。
秀麗会の片隅に置いていただける幸せには、日々感謝しています。

さて、主婦は多忙です。終業時間がありません。
認知症で車椅子の義母と、昨年秋に大腸癌を手術した義父の介護では、 最近主人とのチームワークが冴えてきました。
趣味は、安い食材に手間をかけ、美味しい酒の肴を作ること、
スーパーのチラシをチェックすること、井戸端会議も大好きです。
そんな平凡な主婦の暮らしに、事件が起きました。
一昨年、末娘が一年間アメリカへ留学し、代わりに我が家にアメリカの男の子がやってきたのです。
子供たちを通して垣間見たアメリカを、今月はちょっとだけ紹介したいと思います。


 B組  木下 久さん

Bの木下久です。今月の顔を頼まれました。今思っていることを書いてみたいと思います。
2月21日に箕輪のジャスコにある雑貨店サ・エ・ラをリニューアルオープンしました。
広告欄にあるように今までは2階に子供服のリオをやっていましたが、リオを閉店して一階のサ・エ・ラを15坪ほど大きくしました。
そこで、親子で着れる服を中心に店を作りました。なかなか良いできばえでジャスコに今まで無かったオシャレな店になったとおもいます。
すべて妻と娘そしてスタッフが考えた店です。私は資金繰りをしただけです。50代の親父がレジに立てるような店ではありません。
じつは、私は鬱病を10年近く患っています。ある時、動悸とめまいで店に立つのが怖くなりました。不眠症になり自律神経もおかしくなり苦しい日々を送りました。
鬱病と診断されて治療を始めましたが、良くなったり悪くなったりを繰り返していました。主治医に「木下さんは今の仕事を止めないと治らないよ」と言われました。
最初は「そんなこと無理だ」と思いましたが娘が社会人になりサ・エ・ラをやりたい、と言ったときに家族で相談して私が主夫(ハウスハズバンド)になることにしました。
数ヶ月家事をやりました。そこへ今の会社の社長が声をかけてくれて「新しい事業部を立ち上げたいので手伝って欲しい」と言われ、給与は安いですが清水プラスチック工業の品質保証の仕事をすることになりました。
こうして自分の会社を持ちながら他社で働くという生活が始まりました。最初はとまどいもありましたが、今では慣れて毎日休むこともなく楽しく仕事をしています。(製造業は未曾有の不況です。同じ経営者として社長の苦労が分かります)
以前との一番の違いはジャスコでは年中無休、心が安まるときがありませんでした。今の仕事は完全週休二日なので休日を楽しめます。
なぜ今回私が鬱病のことをComing Outしたかというと、一つにはこれも治療のいっかんです。また現在では成人の12人に一人は鬱病だと言われています。ということは秀麗会の仲間の中にも20人近く鬱病の人がいることになります。自分が鬱でなくても家族や会社にはいるのではないでしょうか。
更年期による鬱病も50代には男女とも多く発病します。鬱病は「心の風邪」と言われ誰でもなる可能性のある病気です。そして必ず治る病気です。早期発見は簡単に治ります。私の場合はカウンセリングを受けたら20代で発病していました。
治療まで20年もかかったのです。鬱になるには内的要因(性格)と外的要因(ストレスなど)があります。規則正しい生活と十分な休養と投薬で治ります。だだし、家族の協力も必要です。私の場合、何度も家族で話し合いました。私が良かれと思っていたことが家族にとっては重荷であったりしました。家族からは元気に仕事をするお父さんの後ろ姿が見たいと言われました。あとは笑顔です。いつでも笑顔でいて欲しいと言います。今まで家族に迷惑をかけましたが、今は家族とも一家団欒ができるようになり、病気で落ち込むことも無くなりました。今は病気で悩んでいたときが嘘のようです。
鬱や更年期で悩んでいる方はご相談にのります。男性更年期は最近認められた病気なので専門医の診察が必要です。
長々書きましたがこれが今の私です



 A組  中島 光子さん

A組の、かとうです。
大活躍のわたなべさんの足元にも及びませんが、一か月お世話になります。
娘が3人。上2人は成人し、三女は中2です。9時から5時半まで仕事。夕食後、マメルリハ(鳥)をカゴから出して、2〜3時間遊ばせます。トロい私の一日です。
自分の楽しみを思う余裕も、あまり無かった日々。
でも、秀麗会に参加するようになったら、生きるのが楽しくなってきました。
楽しく生きれば、幸せなんだ!!!
秀麗会の、あんな場面やこんな場面、笑顔、笑い声、歌声、はっとするような素敵な写真、季節や自然を教えてくれる写真、何気ないおしゃべりや言葉かけーー私の、宝物です。  ありがとう。
これからも、よろしゅうお頼み申します。



 F組  渡邊 尋さん

F組46番の渡邊です。いよいよ新年を迎えましたね。新しい年にむけてみなさんの一層のご活躍を祈念しています。(すみません。喪中のため挨拶はできませんので、あしからず。

去年を振り返って良かったことは、秀麗会の掲示板に復活できたことが一番でしょうか。キノコ会に参加し、それにより写真と言う趣味を深めて、フォト倶楽部のメンバーと出会えたことが良かったです。仕事に没頭してきた何年かだったので、心の安らぎと言うか、秀麗会には感謝しています。

現在、私は伊那市の清掃センターの入り口で接骨院をやっていまが、今回は私の仕事についてお話したいと思います。皆さん、接骨院はどんなところかご存知ですか。

この業界に入って愕然としたことは、接骨院(整骨院も同じです)はどんな所か知らない人があまりに多いと言う事です。知っているという方でも、大きな先生が出て来て、電気をかけてくれて、ギュギュウッとマッサージをしてくれて、湿布とか包帯をしてくれて治療をしてくれる所と言うようなイメージがあるようです。どんな症状をどんな風に治療してくれるのかを大まかに答えられる人は少ないようです。ある統計によると3割から4割くらいの人しか一般に知らない所になっているようですので、今回は私の仕事についてより理解を深めていただきたいと思います。

接骨院は、骨折・脱臼・捻挫・打撲(打ち身)・肉離れやじん帯の損傷を主に保険で治療するところです。うちでも現在、何人かの骨折患者さんをみていますが、今は骨折と言うと整形外科に行く人が多いようです。一昔前は接骨院に来る人の方が多かったようですが、現在一番多い症状は、実は骨折とか脱臼ではなくて、ぎっくり腰などの腰痛や、寝違いなどやムチ打ち症などの首の症状です。あとは足首の捻挫、膝の痛み、肩の痛み、肘や手首の痛み、突き指などが主です。治療は各接骨院で異なりますが、患部を冷やしたり暖めたりとかして、それから電気による治療はだいたい入ります。あとは手技を入れたり入れなかったりと各院により対応が違いますが、うちでは独自に、JRCと言う穏やかですが即効性のある矯正、微弱電流と言って感じない位の弱い電流による除痛治療、治療器によるツボの治療なども行なってその場で痛みを改善するようにしています。いずれにしても大切なのは、患者さんの体に負担をかけず、いかに早く治すかということではないでしょうか。

また整体院と勘違いする人も多いのですが、接骨院(整骨院)は国の認定機関であり、保険機関です。整体院は基本的には無認可で民間治療を行なう所ですので、全くの別物です。今後は整体と接骨院を区別していただいて、体が痛いときには整形外科(おもに薬と手術で治す保険機関)だけでなく、接骨院(飲み薬を使わず、主に手技・矯正と電気など理学療法で治す保険機関)も選択にあることを知っていただければと思います。

会としても中体連の大会に医務員として協力したり、春の高校駅伝やオリンピックや国体などでも間接的に協力をしており、地域医療を担っています。

小難しい話を長々と失礼致しました。

最後に、今年は不況の年と言われていますが、それに負けないくらいの良い事が沢山ありますように、みなさんの活躍と健康を祈念しています。



 E組  伊藤 隆 さん      
 ちょうど 1年前には”ギックリ腰”にも拘わらず お仕事多忙に悩ませられながら 正月に配る小学校「文組同級会記念文集」の原稿を書いた。

 その最終項は 「伊那北高校では 卒業後30周年同窓会を毎学年が開催する伝統があり 1年半前に自分の学年に番が回って来て盛大に楽しみました。 同級会がクラスを越えた同窓会に広がり 様々な付き合いが広がって楽しんでいます。 今回の文組同級会も そんな中で久しぶりに出会った連中が言い出したのが発端で開催に至りました。 今後ともお付き合い宜しくお願い致します!」 とした。

 幹事長の広瀬が 突然、旦那さま想いの妻の命令で検査入院してしまったので 追加で〔あとがき〕も書いた。

その内容は 秀麗会同窓会に始まって この掲示板の中から日頃、感じるようになっってきた事をそのまま書いた。

 以下、〔あとがき〕抜粋してアレンジ

「1年が過ぎるのは実に早い! このあいだ正月を祝ったつもりが もう、年の暮れが来たって感じです。 過去を振り返る余裕の無い生活に追われながら 文集に何を書こうかな?と思い出してみると 余りに多くて何を書こうか迷うばかり。 最近の事は ちっとも覚えていないのに40年も前の思い出が溢れ出てくる。 これは 同じ時を過ごした私達の”宝物”です。同級生ってイイですよね、話せば尽きない思い出ばかり。

(恩師の話題は中略)

 さて 人生100年の折返し点を迎えた私達、へェ あと半分も残ってたんだ! とも言えます。 どうせだったら 楽しく前向きに生きてゆきたいものです。

 これからも 時々はこうした機会を設け 人生の糧としながら 一緒に歩んで参りましょう!」

 この気持ちは 昔を一緒に過ごした皆さんに 共通する正直な気持ちです。

 写真は ちょうど2年前の暮れの「伊那スキーリゾート」です。(今は亡き) 
広島から実妹家族を正月を故郷で過ごすように呼び寄せて 姪っ子3人も連れて行きました。 
  この写真は 今年、ボッチ初投稿の際にも掲載してます。 
この写真に写る 美しい故郷、愛する故郷”伊那谷”で こうして「伊那北高校の新生活」を秀麗会同級生として楽しめるのが とても嬉しい!

 お世話になっている皆さん、いつも本当に ありがとう!
これからも 宜しくお願い致します。



 E組  伊藤 隆 さん      
 30周年同窓会ホームルームに始まった〔伊那北高校の新生活〕は思いがけず 楽しい方向に進展してしまった。
正しくは もう1年前の”30周年同窓会に向けたE組同級会”に始まったかもしれない。

 広瀬が「同級会やるけど どうだい?」に誘われて 11/4に養老の瀧へ
遅刻して行ってみたら 「オメは誰?」・・・「はァ?」・・・「ボッチけ〜」・・・「えェ〜似てねェ」・・・誰にヨ? 
正月に開催する”E組同級会”に向けた実行委員会だった。
いい加減なスタートが これまた「伊那北高校の新生活」の雑多を暗示いていたとも思う。

 正月に開催された”E組同級会”の時、隣に座ってたのが”岡村先生”と82だった。
不思議と 高校時代以上に話が進み 北島”先生”と約束し諏訪の焼き鳥屋で再会して飲み、
82とは何故か その後、掲示板の”腐れ縁”に陥ってしまった。

 今思うに高校時代は素直に付き合えなかった。異性には当たり前ながら 勉強以外は部活中心で時間も限られたし 悪友?には近づかなかった。

今は誰でも「来る者は拒まず」に お付き合いさせて戴き そんな機会を自ら得ようとしている。何が変ったのだろうか?
思い当たる理由は いくつか有るが そんなことは問題にもならない。気楽にして居られて 居心地が良いのが何よりダ!

 愛する故郷”伊那谷”で こうして「伊那北高校の新生活」を秀麗会同級生として楽しめるのが とても嬉しい!
お世話になっている皆さん、いつも本当に ありがとう!



 D組  田畑 均さん

『助けての 小さなサイン 受け止めて』

オレンジリボン・キャンペーンって、ご存知ですか?
子どもへの虐待をなくそうというメッセージが込められています。

11月は児童虐待防止推進月間。
児童相談所というところに勤めている関係上、あちこちで開催される行事や啓発活動にも週末ボランティアで出かけていくことになります。
「事実は小説よりも奇なり」でしたっけ・・・ ホントにこんなことがあっていいの? と目・耳を疑いたくなるような事例に遭遇することもありますが、 虐待は決して特別なことでなく身近なところでも起こっている、心や体に傷を負っている子どもたちや助けを求めている子どもたちがたくさんいるということを知ってもらえたらと思います。

     *   *   *

中学時代同級生だった河西さんからメールをもらって、初めて「今月の顔」や 過去の記事をのぞいてみました。
・・・文章や写真で自分を表現し、交流を深めている手法を、子ども達との面接に使えないかなぁ と、いつしか連想(妄想)は仕事モードに。

  ことばや態度・行動に現されるもののはかなさと背後にある思いの大きさ、深さ。
    写真を撮ることで見えてくる、自分の姿。 光と影。
     自分を表現し、何がしかの反応が返ってくることで、自分の存在を確認すること。
      えとせとら、etc.

       *   *   * 

折りしも、事故米だの食品偽装だの、食の安全が脅かされている昨今。
わずかばかりの農地を耕し、減農薬・有機栽培の米や野菜をつくって食することができることにささやかな幸せを感じられるのは、年を重ねたせい?



 C組  原 洋明(大受)さん

「今月の顔」と言うからには、「顔」を出さねばと思った。
とても人前に出せる代物ではないが、出し惜しみするほどのものでもない。
他人様の顔を勝手に出すと問題だし、見苦しいけど覚悟を決めて「素顔」をさらすことにした。
高校時代、金森先生に指導を受けた後、若いうちは試合に出て勝ったり負けたり、その後は子供達の指導や試合の審判で柔道に関わってきた。
左から右へ32年の歳月が流れたけど、老けた以外に何か変わった、進歩したという自覚はない。
時々熱くなって、子供に指導しているのか怒っているのか、わからない時もある。
「ちいっとやり過ぎたかなぁ」と思っても、次にまた同じことを繰り返している。
この前、新しい子が見学に来たとき、5年生のゲン君に「先生、今日はいつものように怒っちゃダメだよ」と言われた。
・・・キミは大人だなぁ・・・



 B組  土田 明彦さん

メタボ

みなさん こんにちわメタボ土田です。
先日、会社にて健康診断がありまして、腹囲基準値84.9cm以下に対して、おかげさまで113cmありました。また中性脂肪値も人類の上限値224mgをはるかに超えて362mgでした。
このままですと糖尿病、高血圧などの成人病が待っていると評価されました。
よって現在ダイエット中でありまして、大好きなうしおのローメンもいつもの超超から超に変更して努力しています。
40周年の時には、メタボ土田からベストスタイル土田になって、みなさんとお会いできると思いますので、一見違いすぎて判らないかもしれませんが、声をかけて下さい。
あまい夢見る土田でした。


 A組  市古 みどりさん

51歳の証明

先日、職場の若ものと駅で一緒になり、「エレベータで降りましょうよ!」といわれたので「えっ、なんで?」と反応したら「足引きずってるから、痛いのかと思って」
彼は、おばさんのはっとりをいたわってくれたわけです。
「私、若いころから歩き方変でさぁ。。。」

当然ですが、うす暗いところで本は読めなくなったし、漢字は書けない、名前がでてこない、芸能人知らない、動悸、発汗、ふーっ、「命の母A」を購入しないとだめかしらん。
しかしこうみえても意思は強い、よって「生涯ぶっきらぼう」は貫徹できる見込み

はっとり。




 F組  唐澤 正広さん
   
シモツケと・・・ 私たちの人生を川の流れにたとえれば今どのあたりを流れているのだろうか。
間違いなく源流に近かった伊那北の時代はあまり何も溶けてはいない清らかな水ではあったが、内なるエネルギーにまかせて激しく流れ下っていたので周りは見えていなかったように思う。
50歳を過ぎた今、人生のいろんなものを溶かし込んで水の透明度は失われたかもしれない。でも、その分川幅はだいぶ広くなり流れもゆるやかになって周りを見る余裕も出てきた。ふと気が付けば川幅一杯に散らばってはいるが、大体同じあたりを流れている仲間の顔があちこちに確認できる。心強いものだ。

写真は最近散歩の際に見かけたものです。2枚目の写真、温室の中を自由に歩き回っている彼(または彼女)にはちょっとびっくり。




 E組  池上 武志さん
   
昔日閑話
その1 深夜放送
 深夜放送。懐かしい響きだ。最近はとんと縁がない。僕の中ではコーヒーの味とリンクしている。というのも小学生の頃、深夜放送を聴きたいがために、眠気に対抗する手段としてコーヒーなるものに頼っていたからだ。しかしながら、頑張って起きていようと思えば思うほど眠気はますばかりで・・・
 深夜番組の入り口である「ジェットストリーム」が終わる頃には、もうすでに夢の中という状態が多かった。
 中学生になってからは、ほとんど毎晩のように聴いていたジェットストリーム。午前零時の時報についで、「ミスターロンリー」と共に始まり、城達也のナレーションを挟みながらイージーリスニング系の音楽を流す、この小洒落た番組が好きだった。
 最近また、昔買ったCDで聴いたりしているが、夜に溶けていくような感じの雰囲気が、懐かしさと相俟ってたまらなくいい。

   遠い地平線が消えて
   深々とした夜の闇に心を休めるとき
   遙か雲海の上を音もなく流れ去る気流は
   たるみない宇宙の営みを告げています・・・




 D組  山本 孝志さん
   
空とホオズキ皆さん、ご無沙汰
 中継ぎリリーフの指令があり、初々しい投稿です。
ビッグな おおぼけになってしまったのかな〜
 
唯一、我が家の、私の指示に従う家族です。
 名前はエリザベスといいます。




 C組  唐沢 豊さん
   
空とホオズキはる     谷川俊太郎

はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが

はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼってゆける

はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした


皆様 うららかな春をお過ごしですか?




 C組  唐沢 豊さん
   
空とホオズキかなしみ

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

「二十億光年の孤独」(昭和27)所収


新しい年度のスタート。
何かなくしたような
何か忘れたような
ふっとそんな気になることが…

夏の忘れ物 ホオズキがまた違った姿で
つやつやとした血色のいい時とは異なる味わいで。




 B組  平出 吉範さん
   
2月の中也の次は3月B組ひんしゅくの登場 !しかし
酒シリーズに替わりまして写真は1910年Muller Freres のパート・ド・ヴェールです(B組は美術専攻だぜ)。
アール・ヌーボーからデコに変わる時代のガラス作家は北澤美術館にあるエミール・ガレやドーム兄弟といったナンシー派の作家が有名です。ちなみに一番好きな作家はアルベール・ダムーズなのですが、あまりに希少でまず市場に出ることはありません。
それぞれが独自の技法を駆使して、特徴のあるガラスを焼いていますが、私の好きなものの一つがミューラーです。
もともとモーゼル地方のガラス職人の家に生まれた兄弟ですが、ガレの元で働いて後にリュネヴィーユに工房を開きます。
一つ一つを粘土で作り、耐火石膏の型に粉ガラスを入れて焼くため1つ1つが微妙に違ってできあがります。
ミューラーの工房の特徴はそのアイアン・ワークとのバランスがいい事で、シャンデリアやテーブル・ランプは秀逸じゃないかと。
100年前の色がそのままに映っているでしょうか?
100年経っても色褪せないガラスのようは生き方をしたいと思っています。



 A組  中原 隆弘さん
   
この前の酒が(とっくにだけど)終わったので、2月も末だけど、その後の近況を報告します。

と言っても、いつも会社にいるか、はたまた家で酒食らってうたた寝、タマにゴルフで、ほとんど時間が無くなってしまう様な中、直近 腰が良くないとなると、やっぱり、前回と同じ酒の話しになります。

で、写真の酒はというと、九州の甥から貰いもんの焼酎。
 「壱岐」は麦焼酎の発祥地の焼酎
 「つくし」は限定された酒屋でしか手に入らない麦焼酎
 「赤霧島」は芋焼酎で隠れファンが多い
らしい(?)が、味はというと九州からなんで相当な臭味を想像するも、「絶対に水で割るな!」のアドバイスどおり、芋含めて結構まろやか〜でやんす。

これらを帰宅後に、晩酌で頂くということになるんだけど、うめ〜、落着くっていう感じで、オカワリ。  (それで、またしても うたた寝。)

もっとも、夏のビール、寒い時のお燗酒、カンペイ合戦の紹興酒・・・ 全部美味いんで、酒なら何でも良いが本当の所。




 A組  中原 隆弘さん
   
みなさん こんちは。
二月はA組ということなんで、中也からオヤジ状況を披露します。
少し前だが、大阪に住んでいる娘から誕生日祝いの酒が届いた。
銘柄とかは何だか良くわからないけど、娘からなんで、うれしく、
おいしく頂戴している。
ところが、最近、飲む度に気になるんだけど、それは 瓶に書いてある「お体を大事に いつまでも元気でね。」であ〜る。
始めは「病気した訳でもないのに・・・」と思っていたが、
直近は、「そんな歳じゃ、ね〜ぞ・・・」である。
(もちろん、娘に小言を言うツモリはないが・・・)
正月、帰省した息子が、外出時に いかにも寒そうな薄着をしていたんで、 「ダウン(ジャケット)でも貸してやるか?」と言ってやったら、
返事は、「厚着はオヤジの格好 ・・・ 」 だそうである。
(次は頼まれても絶対に貸してやんね〜)

当のオヤジは、その辺の若いモンと変わらん(負けん)と思っているけど、 若いモンからは、けっこう乖離があるようだ。
(クッソ〜)



 F組  白鳥 一明さん
   (マウスを画像に重ねると画像が入れ替わります)
みなさん、一月のあいだ私の「今月の顔」にお付き合いいただきどうもありがとうございました。
私の曲もお聞きいただけたでしょうか。曲の感想をお聞かせいただければ幸いです。
最後にまた、最近撮った浅間山とヘリ&八ヶ岳でお別れしたいと思います。
今年1年がみなさんにとって素晴らしい年となりますように祈っております。
私としましても、50歳を迎え飛躍の年にしたいと思います。
どうもありがとうございました。


 



 F組  白鳥 一明さん

 みなさん、こんにちは。
 正月が終わり、忙しくお過ごしのことと思います。

 当初の写真から半月過ぎましたので、替えさせていただきます。
 どこかで見たような構図かもしれません(三井会長ごめん)。私が昨年読みました本の一部です。
 若い頃に読んだ本で読み直したものも含まれていますが、この歳(今月25日で50になります)になっても、古典といわれる本で読んでない本が多いと思い、読んでみることにしました。
 「ファウスト」から始めました。けっこう読むのに努力を要しましたけれども何とか読み終えました。
 受験生の頃サマセット・モームの英文読解とかありましたが、モームも読んでなかったので「人間の絆」を読んでみました。『「狂い」のすすめ』 (ひろ さちや)の中にモームのことが書いてあったことも、読んでみた一因です。
 この本の中で主人公は終盤にさしかかり、渋谷治美先生(埼玉大学教育学部長)のいわゆる「宇宙論的ニヒリズム」を展開しています。それが気に入り、「月と6ペンス」「サミングアップ」も読んでみました。(モームと私の誕生日が一緒だということも知りました。)
 新聞で「カラマーゾフの兄弟」の新訳本が売れているということを知り、この本を読み始めました。2000ページを越え5分冊になっていますが、現代的に読みやすく翻訳されており、文章に疾走感があり、時間はかかりましたが楽しく読めました。
 その後、「悪霊」「地下室の手記」「白痴」とドストエフスキーの本を読んでいます。

 古典の新訳本が最近相次いで出版されており、今年は何を読もうかと思案中です。

(追伸:前に書き忘れたのですが、私の曲の楽譜は、F調で書かれておりますが、歌っているのはG調です。)


   ■「あの頃」を右クリックして「対象をファイルに保存」するとMP3ファイルが保存できます。その下のプレイヤーで聞くこともできます。
   また、「楽譜」 をクリックすると楽譜が別ページで立ち上がり見ることができます。


浅間山 ヘリポート あの頃 ←ファイルのDLはここから(8.8MB) 楽譜
     



 F組  白鳥 一明さん
    (マウスを画像に重ねると画像が入れ替わります)
 明けましておめでとうございます。
 新年早々「今月の顔」を担当させていただくことになり、大変光栄に思っております。
 何の写真にしようかと迷いましたが、無難なところで浅間山にしました。12月に入ってから写真を撮ろうとする時はいつも雲がかかっていて、いい写真が撮れませんでした。 すみません。
 ‘85年に佐久に来たので、もう20年以上この地にいることになります。伊那にいた期間より長くなってしまいました。
 毎朝この山を見ながら職場に通っています。落ち込んでいるとき浅間山を見ると、励まされた気持ちになります。
 活火山ですので、噴煙がけっこう出ていることもあり、変化があって面白いです。
 北に浅間山が見え、南には八ヶ岳が見えます。茅野の方から見える八ヶ岳の裏の面になります。
 勤務している6階の病棟からはヘリポートが見え,その先に遠く八ヶ岳を望むことができます。
 佐久市に家を建ててしまいましたので、これらの山々に囲まれこれからずっと生きていくことになります。伊那の山を見られないのが少し寂しいですが、このホームページで写真家達の撮った山の写真を懐かしく拝見させていただいております。
 同窓会に向けて私が作りました曲「あの頃」もお聞きいただければ幸いです。
 本年もよろしくお願いします。
 
 ■下の「浅間山」、「ヘリポート」をクリックすると、少し大きなサイズの画像を別ページで見ることができます。
 ■「あの頃」を右クリックして「対象をファイルに保存」するとMP3ファイルが保存できます。その下のプレイヤーで聞くこともできます。
   また、「楽譜」 をクリックすると楽譜が別ページで立ち上がり見ることができます。


浅間山 ヘリポート あの頃 ←ファイルのDLはここから(8.8MB) 楽譜
     


 E組  山崎 大行さん
ver.第5週
2007年もいよいよ3日になりました。
やり残したことは、ないですか! 
今年のヨゴレは今年のうちに落としましょう。
 
それでは皆さん、よいお年を!!

    
第1週 第2週 第3週 第4週 第5週




 E組  山崎 大行さん
ver.第4週
2007年も残すところあと10日となりました。
今年1年どんな年だったでしょう。
サンタさんへのプレゼントの発注は済みましたか?
皆さん忘年会真っ盛りでしょうか。
いやな出来事は、しっかり飲んで忘れましょう。



 E組  山崎 大行さん
ver.第3週
東から見ると、西からも見たくなるもので・・・
「隣の伊那リ」から眺めてみました。
河岸段丘がほんとにきれいです。

中を流れる三峰川は、仙丈を源流として
天竜川との合流点まで52.73Km。
やっぱり全部伊那市内を流れている。




 E組  山崎 大行さん
ver.第2週
 朝露は、はかなく消えるということで、 12月の顔、第2弾です。

11月下旬あまりにいい天気だったので、 鹿嶺高原に早朝登ってみました。
眼下に広がる伊那の平。
中アの向こうには、木曽御岳が顔を覗かせています。

中アの一番低いところが権兵衛峠。
昨年2月にトンネルが開き、今では40分で木曽福島駅へ。
今ではこの足元から中アまで伊那市です。


 E組  山崎 大行さん

夕日  さすがに12月になると朝晩の冷え込みもきつくなりますね。
 今年も残すところ1ヶ月となりました。
 この1年もはやかったなぁ・・・(^_^;)

 
 
 




D組  内藤 睦夫さん

夕日  Dの内藤です。
質問攻めにあう前に、自己開示しちゃいます。
YES(○)かNO(×)でお答え下さい。
全問正解者(先着3名)には、もし私が投稿した写真の中に気に入ったものがあれば、 焼いてプレゼントいたします。(そんなのいらないって言われそう・・)

 Q1 私は、果物の王様ドリアンをどうしても食べられない。
 Q2 私は、武道の有段者である。
 Q3 中学の時の1番の悪友は、木下久君であるが、彼とは生年月日が一緒である。
 Q4 私が今、素晴らしい人だなあと思っているのは、内藤大助さんである。
 Q5 私が今、やらなきゃと思っているのに後回しにしていることは「掃除」である。
 Q6 私は相当飲んでも、何を話したか、きちんと覚えている。
 Q7 私は高校3年の時「シャボン玉と可愛い後輩」という思い出を持っている。
 Q8 私が東京へ遊びに行った時、初めて(吉野家の?・・たぶん)牛丼を食べさせてくれた
    のは小松和男君である。
 Q9 私は、スピード違反で捕まったことはない。
 Q10 私の夢はバイクでシルクロードを走ることである。




C組  三井 栄二さん

 「制服の自由化について」

 昭和46年3月、オレたちが入学する2年前の生徒総会で、伊那北高校の制服自由化は決議された。
  『…本来、個人の服装は社会から規制をうけるべきものではない。われわれはここに、服装は自由な自己を表現する一つの方法であると考え、その自由化を決定した。
  …このわれわれの得た意義ある自由を擁護するため、時々組織的な検討を加え、われわれの自覚の退化と(制服の)自由化当時の真の意図の忘却とを防止する努力がなされなければならない。』
  オレたちの生徒手帳からです

B組  澤井 淳さん

こんにちは!
B組 澤井 淳です。
和男からのリレーで今月後半のパートを 受け継ぐ事になりました。
私は誰?2もありかなとも思ったんですが、 諸般の事情で止めておきました。

写真は前回わき姫に引き続き、 新宿御苑シリーズ第2弾。
台風一過 朝の新宿です。

長野はもう秋の気配ですか。
東京はまだまだ残暑が続いています。
夏の疲れが出易い時期ですから
皆さん、御自愛宜しく!!

ではでは
またツリーでお会いしましょ!

B組  Mr.X 2007年9月前半

さて、私は誰でしょう?

この写真は、大学3年の発表会?の物です。

解るかな・・・


A組 井上(河西)緑
今月の顔も2巡目!A組の河西です。
8月とはいえ、真夏・・・かえ?みたいな今年ですが、28秀麗会の熱さは変わらずいつまでも!だね。
30周年記念同窓会の準備に関わらせていただき始めた時から、人生が変わるほどの多くの刺激的な仲間との出会いがありました。なんつーいい衆だら!と思い続けたこの3年余りです。
私のオタクな趣味が役立つ機会を与えてくれてありがとう!♪
写真は7月にA組の仲間で実家のかさい食堂に集まった時のものです。明るいうちから飲み始め、深夜まで盛り上がった楽しい集まりでした。事あるごとに使っていただきましたかさい食堂ですが、今月16日で店を閉じる事になりました。28秀麗会の皆様には一方ならぬご愛顧をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


F組 沖山揚一さん

F組の先陣飾らせて頂き、大変光栄であります。

さて30周年記念同窓会が終わっても、この活況はどんなもんでしょう。
皆さん、週一のチェックじゃ追いつきませんよ、と。

大きなイベント終わっても、機会ある毎に集う仲間に 大変感謝致します。
声が掛かるとうれしいものです。
皆で出ていって騒ぎましょうね。
Fの仲間も大人しくしてられないぞ!
28秀麗会、伊那北のみんな、ありがとう。

E組 高坂良弘さん
E組の82(ワニ)こと坂です。昨年の28秀麗会を契機にいろんなところに進出できるようになりました。今まではなかなか人の交わりの仲に入ることが出来ずに、皮ならぬ殻に閉じこもっていました。今はこうやって参加できることをすごく、うれしく思っています。
  高校卒業後、9年ほど転勤族の生活を送っていました。嫌気がさして、止めて、駒ヶ根に住み着いてはや、20年になりましたが、また、ひょんなことから日本のあちこちにショートステイやら出張するような生活をしています。
  子供は男の子三人いますが、やっと全員が成人し、皆それなりに稼いでいてくれますから、今後は少しずつ、自分の老後と奥様に感謝できる体制にして行きたいと思ってはいるのですが・・・・。
  こんな調子で後10年間を頑張って、また皆様とお会いできることを楽しみに生活したいと思います。

2007年5月

D組 会田清文さん
5月です。良い季節になりましたね。
C組蟹沢克仁さんから、D組会田清文にバトンタッチしました。
高校時代は、テニスしかしてなかったな。
あの頃より、30s 太っちゃって、昨年の10月の同窓会のために、ダイエットして、 6s程減ったのですが、同窓会の時は、「オメー、誰よ」でした。
ある諺に「中年とは、腹周りが太って行くのに反して、 心が細って いく人だ」とありました。
心が細くならないようにしたいものですね。
人を大切に思って、同じ時代を一緒にすごせることに 感謝して、 感動して、生きて行きたいものです。
40周年の時、瞳の中に、 思いやりと優しさが、あふれているような、そんな生き方を していってみたいと思っています。
40周年で会いましょう。


2007年4月
C組 蟹沢克仁さん
脇由美子さんよりバトンを受け取りました。
C組蟹沢克仁(カニサワカツト)です。
高校時代はあまり人付き合いしなくて
知らない人がいっぱいいますが 、 50年近く生きていると人間も丸くなったのか、 なんとなくお話できるようになってしまいました。
28秀麗会っていいものだなぁと感じています。

自称道草写真家などと言っていますが
ほんとうの写真家などではありません。
なぜか道草を撮るのが好きなだけです。
添付の写真はなににしようか迷ったけれど、 一枚は”ヤマエンゴサク”私の好きな花のひとつです。
もう一枚は”廃校の桜”高遠は山室の桜です。
もうじき花咲きそろう春がやってきます。
そのまえにもっともっと雪山を滑りたいと、 思っている今日この頃です。

秀麗会楽しいですね。
こんなにも個性のある人が身近にいたなんて、 まったく人生は小説より面白い。
またどこかでお酒を飲んで歌でも歌いましょう。

■画像にマウスを乗せると画像が入替わります。
■オリジナルサイズの画像はこちらから ヤマエンゴサク 廃校の桜


2007年3月

B組 脇由美子さん

いよいよ弥生、3月ですね!
近ちゃんからバトンを受け取りました。
春はすぐ目の前、でもまだ寒い日も時々訪れたりします。
体調に気をつけて皆さんで楽しい季節を迎えましょうね♪
一雨ごとに、風が吹き抜けるたびに、暖かさと明るさを感じて前向きに行きましょう!


2007年2月
A組 丸山近子さん
2月ですね。
伊藤さんからバトンを受け取りました。
張り切って2月を駆け抜けましょう!
時々草花に目をやったり空を見上げたりしながら・・・。
春はもうすぐそこに。
・・・でもまだ雪は降るかも・・・。
寒さに負けず物忘れにも負けず元気出して
行きましょう!!!

2007年1月
E組 伊藤正明君

あけましておめでとうございます。本年も皆様の秀麗会HPへの御来場を心からお待ちしております。
さて、唐突かつ独断ではありますが、HPを少しいじってみましょうかと河西さんをそそのかしまして、トップページにこんなん作ってもらいました。皆さんの写真でと思いましたがとりあえず露払いで私が一番手です。以後A組より順次、勇士または代表で一年間を綴って行きたいと思いますので4649にゃん♪♪